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お世話になります。お便器ですか?

「死霊を添付しましたので、子宮、ご変身のほどよろしくお願いします。」

ここまで酷い誤変換メールはないかもしれないが。
誰しも一度はとんでもない誤変換をして、メールやメッセを送ってしまったことはあるのではないだろうか。

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私は数多ある。

予測変換の精度が高まっているのにも関わらず、Spaceキー押しすぎたり、手元が狂ったまま狂った内容を送ってしまう。送り先によっては血の気が引くかもしれない。でも、なんだかそれはそれで平和な血の引きようだと思う。なんなら笑える。

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一方で、ふと世間に目を向ければドラスティックに血が引くような現実がある。誤変換したいという現実が誤変換されない。海の向こうでは自爆テロは起きるし、どこかで今日も女子高生は殺される。無理心中という都合の良い言葉で自殺に巻き込まれる子供がいる。

「なんだよ、誤変換であってくれよ。」

夕方6時のニュースを見るたびにそう思うのである。

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先日、「月刊ココア共和国」という詩誌に「現実にしたい誤変換」への想いを詩にしたためて投稿した。ありがたいことに佳作に選んでいただいたわけだが、上記のような消化できない鬱々とした感情が背景にあった。

変と換

いつも推せは担っております 
死霊を添付しましたので、ご詐取うください 
子宮、ご変身のほどよろしくお願いします

お元気ですか、私は現金です
こちらは毎日、織田や仮名日々を送っています
あなたが孵ってくるまで、楽しみに舞っています

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六時のニュースです
政治家の父称事が
話題になっています

昨夜、男に合歓された少女が
ビルの屋上から灯心自撮をしました

将来を避寒したサラリーマンが
益のホームに飛び込んだ模様です

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詩は論理に飛躍があるし、基本的に読む者に解釈を委ねる。だから万人受けするわけでもないし、大半の人には解せないところがあるだろう。詩はある種のアートだ。見る人にとってはただのマスターベーションと受け取るかもしれない。(実際、詩のnote投稿はスキ!が付きにくい)

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詩に限らず、この資本主義下でアートは定量的な価値を証明しづらい。ステークホルダーに説明がつかない。投資が受けられない。儲けにつながらない。食えない。KGIやKPIなんか置けないし、仮に定量数字を置いても数字を追うことが目的化しがちで本質的なアートの価値はどこかに置き去りになっていく。

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なんだか、企業目線の話になってしまったが、要は美術館の説明書きのように補足があって初めて「あーなるほどね、ふむふむ、わかったかも」となり、無価値で意味不明の産物からの回避を少しだけ図れる。このnoteもそんな役割だ。

アートに答えはないので本当のところは見る者、読む者に解釈を委ねるべきなのかもしれないけれど。一旦の指標を提示することで生まれる解釈もあるのではないだろうか。

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東京は今日、雨が降るらしい。
そろそろ洗濯物をと離婚できます。

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