この夏、僕は西成で“迷子”になった
僕は一人、当てもなく歩く。
大阪市西成区・あいりん地区。通称、釜ヶ崎。
この夏、僕はここ西成で“迷子”になった。
そして西成に救われた。ひと夏の出会いの話である。
迷子のコピーライター日下さんとの再会
僕は3ヶ月前に身体を壊し、現在休職している。
休職直後の感情はカオスだ。休むことへの焦りとゆとり、不安と安堵を混ぜこぜにしたような感情を背負っていた。自己矛盾に対峙する余裕がない。しかし時間というのは偉大なもので、時が経つと次第に内省できる余裕も出てくる。そんな折、僕は自宅の本棚から1冊の本を手に取った。
日下さんは、関西を中心に活躍するコピーライターだ。代表事例で言うと「商店街ポスター展」での町おこしや、三戸なつめちゃんの「前髪を切りすぎたのMV作りすぎた」といった取り組みでご存知の方もいるのではないだろうか。
日下さんとは僕が大阪に勤めていた6年前、あるイベントで出会ったことをきっかけに繋がっていた。
「東京に埋もれたらあかんでー。あと、自分で勝手にコピー書き続けね。」
僕が前職で東京へ転勤するときに、こんな言葉をもらっていたことがいつも頭の片隅にあった。身体を壊したことで「ああ、俺は東京に埋もれたんかもしれん。いま何者かがこの本を読めと言うてる気がする」と思い、本棚から引っ張り出してきた。
ちなみに僕は東京出身である。
おもむろに本を手にしたが、その勘は正しかったと思う。
コピーライターとして足掻いた日々、病気、挫折、死別…。人生で迷子になったことを綴った内容は今の自分の何かを刺激した。そして間髪入れず、僕にメッセンジャーを起動させた。
「日下さん、ご無沙汰してます、ヒロです。お元気ですか。実は…」
「ヒロくん、おひさしぶりでーす!天王寺でお茶でもしよかー!」
こうして僕は大阪へ戻る目的を一つ作った。
書き続けよか。書き続けるしかない。
日下さんは優しかった。お会いするのはおそらく3年ぶり3回目くらいであろう。深く身の上話をするのはこれが初めてである。こちらは書籍を拝読しているが故に勝手によく知った気になっているが、日下さんからしたらどこかで繋がってた知り合い程度、だと思う。メッセは無視されても仕方ないくらいに思っていた。しかし二つ返事でアポイントを承諾してださったのだった。
僕はどうしてもこのタイミングで日下さんに会わなければならなかった。理由は、ない。何かに駆り立てられていたのだ。日下さんは佐治敬三賞を受賞されていたので、佐治敬三の親友である作家開高健のクリアファイルを手土産に持っていった。
ひとしきり、大阪を離れてから今に至るまでの流れを聞いていただく。日下さんは相槌を打ちながら、天井を眺め、口を開いた。
「書き続けよか。書き続けるしかないね。それしかない。一発大きいのを狙うのではなく。書き続けよ。今の仕事を続けるにしろ、詩や文筆で行くにしろ、書き続けよ。」
僕の中で、何かがフッと軽くなった。
「ヒロくん、これお返しにあげるわ。」
日下さんはおもむろに、財布からシールを取り出して手渡してくれた。
僕は西成で“迷子”になる
日下さんと別れ、歩くこと10分。そこは動物園前、新今宮といった西成エリアだ。僕は3日間、西成という日本屈指のディープスポットに滞在することにしていた。大阪育ちの母親は「大阪人でもよう行かへんわ〜」と言っていた。その西成は親世代の時からどう変わっているのか。書籍や雑誌から垣間見えるカルチャーや歴史はどうなっているのか。時代の栄枯盛衰、光と影はどのように西成を形成しているのか。僕は安らぎを西成に求めていた。
一泊1500円の宿で荷物を下ろす。日下さんに教えてもらったオススメスポットのメモを見ながら、僕はあてもなくただただ気の向くままに漂った。
僕は西成で“迷子”になった。
人が行き交う商店街。飲み屋に一人で入る。おじさん達は瓶ビールをお代わりし、看板娘たちは景気良くボケとツッコミをする。
僕は隣に居合わせた、知らんおっちゃんと言葉を交わした。
「兄ちゃん知ってるか?京都十代、東京三代、大阪一代やで。一代目でも人を受け入れて仲良うなる。それが大阪や。」
知らんおっちゃんは2軒目に連れて行ってくれた。
「後ろ、乗りや。兄ちゃん、夢あるか?夢を持つ人はええで。儲ける時もある。損する時もある。ちょっと失敗したり、遠回りすることもある。けど、諦めへんことやね。それが大事やと思う。知らんけど。」
知らんおっちゃんはハイボールを片手に言った。
「兄ちゃん、身体壊してこっち戻ってきたんか。まあそういう時期もあるわなぁ。大阪いる時はな、何も考えんでええ。今を楽しみや。どうせ東京戻ったら考えるやろ?いまは酒、飲みや。」
「兄ちゃん、人生、菅田将暉やで。まちーがいー言うやろ。間違いの方を選んだようでもな、正解を選んどったら出会えないもんもあんねん。まちがいは全部正解や。知らんけどな。」
知らんおっちゃんは、僕がトイレに行っている間に会計を支払ってくれていた。そして振り返りもせず、片手を上げながら自転車を漕いで立ち去っていった。
連日、うだるような暑さだった。行き交う人が、汗を拭う。
「今日もあっついなー」と、知らん人が話しかけてくる。「今日もあっついなー」と、知らん人に話しかける。たったこの一言だけで心の中を何かがかよっていく。
「モーニング」といえば西成ではビールとおつまみ。ワンカップは路上に座って飲む。全てが自由だった。内も外も無い。よそ者などいない。みんなよそ者だ。みんな何かしらの事情を抱えてここに行き着いていた。みんな痛みを知っていた。人の痛みを受け入れてくれた。それが西成という町だった。
釜ヶ崎で表現の場を作る喫茶店「ココルーム」
「ヒロくん、詩が好きやったらココルーム行ったらええで。ゲストハウスとかカフェやっててな、ここを運営してる假奈代さんって人はな、元はコピーライターで詩人やねん。」
初日に日下さんにお会いした時に、僕はココルームの存在を知る。振り返ると、以前NHKの特番で見たことがあった。まさかここで繋がるとは思いもしなかった。僕は一瞬の迷いもなく、こう答える。
「今の僕にめっちゃ重なるんで、絶対行きます。」
日下さんにお会いできたのが西成滞在の初日だったことを本当に良かったと、旅を終えた時に身に染みることになる。ただ、この時はまだ実感する由もない。
ココルームは主宰の上田假奈代さんが「詩業家」として詩を仕事にすることを志した結果、事業運営の形として「喫茶店のフリ」「ゲストハウスのフリ」をしているNPO法人である。
また、釜ヶ崎芸術大学という市民大学を開かれている。詩やアートを生かしたワークショップ、様々な講師を招いた講座を無料(もしくはカンパ)で実施し、西成で無目的な人々に生きがいを持ってもらう活動だ。
僕は滞在中、毎日ココルームへ足を運ぶことになる。最終的に假奈代さんにだけお会いできなかったが、素敵な出逢いに恵まれた。
「こたね」で詩を作ろうや
ココルームは一歩足を踏み入れると「言葉」と「アート」で溢れていた。ここで旅人は集い、眠り、コーヒーをしばく。昔、マラッカをバックパッカーで旅をした時のゲストハウスを想起させた。
カフェでコーヒーをいただきながら周りを見渡す。一つ一つの言葉を眺めていると、知らんおっちゃんに声をかけられる。
「兄ちゃん、詩ぃ好きなんか。せっかくやから“こたね”やろや!」
「こたね…?」
「せや、こたねや。」
慶次郎さんという名の知らんおっちゃんは、「こころのたねとして」=「こたね」というココルームが開発した詩のワークショップを一緒にやろうと誘ってくれた。詩とは普通、自分の中にある言葉を自分が生み出し、自分だけの表現物とする。しかしこの「こたね」は一人で詩を作らない。2人1組でペアを作り、お互いのエピソードを聴き合って、聴いた相手のエピソードを元に詩を作る。そして、それを相手に贈る。いわば他力本願詩である。
その時、たまたまココルームにインターンに来ていた女子大生2人(スズ・エリ)も交え、4人で「こたね」をすることとなった。私はスズと、慶次郎さんはエリとペアを組む。
詩のテーマは近くの虫かごで飼われていた「鈴虫・虫」に決め、まずはそのテーマから想起する絵を描く。そして、その絵が何を意味しているのかインタビューをしあう。そこから空想や想像も交えながら詩を書き、贈り合う。すると、今まで自分では思いもつかなかった言葉が紡がれていくのである。
30分前に出会った人と詩を合作し、贈り合うという行為に、僕は心震えた。僕は固定観念に囚われていたのかもしれない。詩は鬱々と自分の中にたぎる感情や情熱を吐き出し、一方向で読む者に共感と救いを与えるものだとばかり思っていた。詩は、ひとりぼっちではない。詩は、双方向のコミュニケーションなのだ。
西成での出会いが道を教えてくれた
自転車を二人乗りしてお酒を奢ってくれた、飲み屋の知らんおっちゃん。
「ほんま、あっついなあ!兄ちゃん、これあげるわ!熱中症対策やで!気ぃつけや!これ食べたらコロナかからんで!」と梅干しと飴ちゃんをくれた知らんおばちゃん。
「暑い中、ご苦労様。遊び来てや。」とパチンコ屋のティッシュをくれたチンドン屋のお姉さん。
「わたしの写真は撮らんといてな。なんぼ積まれても、あかんで。いつも断ってるねん。ごめんな、恥ずかしいねん。せやけど、また来てや。」と言ってくれたホルモン屋のおばちゃん。
まるで家族のように接してくれたココルームで出会った皆さん。
大阪市西成区・あいりん地区。通称、釜ヶ崎。
この夏、“迷子”の僕は西成で素敵な出逢いに恵まれた。名前も知らない人たちにこれまでを労われ、共感され、認めてもらった。大袈裟かもしれないが、生きることが下手でも良いと思えた。今の自分を愛そうと思えた。
気がつけば、僕は西成で見えない“道”を教えてもらい、”迷子”ではなくなっていた。
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