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うたおう、奏でよう、きみの音を聴かせて ②

さて、続きを話そうか。

みなさん、こんにちは。
むらせあやです。みんなからはあやめと呼ばれています。

東京・千葉で中南米の楽曲を中心に、しずかな情熱に満ちたあいのうたをうたっています。こんなかんじです。(所要時間:約2分)

noteでは、自分の創造性を信頼するためにわたしが辿った過程を記していこうと思っています。音楽にまつわる圧倒的ななにかを持たざると知りつつも、素直に自分と向き合い日々表現を育むなかで見つけたゆたかさの記録。

前回は、コロナでちょっとナーバスになっていた時期に、土屋絢子(あやこ)さんが作詞作曲した「奏で」という曲をうたうことに決め、レッスンを始めたところまで話しました。

4月末頃からだったかな、たしか。ボイストレーナーのマイさんと2回くらいレッスンして。人に聴いてもらいたいというよりは、自分にうたってあげたくて選んだ曲だったから、家でひとりでうたえるだけでうれしかったな。

そうこうして5月の終わり。

わたし4、5月は毎週金曜日にオンライン飲み会に参加しててね。そこでうたを毎回1曲披露する流れが5月くらいにできつつあって。

その飲み会が緊急事態の解除に伴い次週で最終回になると聴いたとき、だったら「奏で」をみんなとシェアしたいな、ってふと思いついたのでした。

この飲み会については、「オンライン飲み会でうたう日がやってきた」に譲るとして。

とにかくそこでは、自分の内側にある、そして同じくみんなの内側にもある、創造性と呼べるちいさなちいさな種が、ゆっくりと発芽するような場が立ち上がっていた。

表面的にはけっこうガサツな場面もあったよ。でも、一見秩序がなさそうに見えても、心理的に安全な場所だって肌で感じていられたのが不思議。

ある条件がそろった瞬間にふいに、
繊細な、大切な何かがぶわわわぁあ〜っと湧き出たり
じわじわ。。と存在を現しながら恐る恐るこちらをみてきたり
ということがもう何度も起こっていて静かに胸が熱い。

主催者である麻依ちゃんも、飲み会で起きていた現象をフェイスブックにこう書いていた。飲み会の成り行きを見守りながら、内心ギリギリの綱渡り感を味わっていたようだから、彼女にもチャレンジングな場だったのだろう。

基本的には本当に単なる飲み会だったのに、しかもオンラインのくせにこんな場ができるとは、それはとても大きな発見だった。

がさつでいながら同時に繊細でいられるというのも面白いよね。それぞれがその場で状況に応じてどう関わりあうかに役割分担もなく、それでいて誰も放棄しない感じが、それを可能にしていた気がする。

巷では「テレワークはやっぱり、非言語が伝わらないから難しい」という声も多いようだけれど、やり方を見直すプロセスが抜けているだけなのかも。

飲み会の記憶は意味なく爆笑してることばっかり印象に残っているけど、通奏低音として、この少し神経質にならざるを得なかったコロナの自粛期間に感じた揺れみたいなもので、わたしたちはつながっていたのかもしれない。

桜がいつもと違って見えたね
当たり前の毎日は揺れているけど
小さな声でもいいから歌おう
大切な人のこと思い出して

笑っていたいな 優しくいたいな
ありふれた言葉でも巡ってくから
涙も痛みも 溢れていい
君の 鼓動を聴きたい

これは「奏で」の2コーラス目の歌詞。こんな「温もり」をみんなから感じていたのかな、と今振り返って思うのだ。

そして飲み会最後の日。
 
わたしは「奏で」をうたった。カラオケの音源は使わずにあえてアカペラで。というのも、テンポに引っ張られうまく表現できなさそうだったから。

このとき「うたうこと」は自分の気持ちを伝える手段だったと思う。自分の内側を感じながらそのままを届けるイメージ。だから呼吸と呼べるもの、ちょっとしたテンポの揺らぎや間合いなども大切にうたいたかったのだ。

うたい終わった後のことは、うたを聴いてくれてありがとうと言ったことしか記憶がない。ただ、みんなとの間に心地よい静寂が鳴っていたのばかり強く覚えている。

表現についていろいろ思うんだよね。

わたしたちふだん、発話や文章など主に言葉を使って自分を表現している。ビジネスでは自分の意見を伝えるプレゼン技術の高さが評価される。分かりやすく伝えることばっかり磨いてきた。

わたしの書く文体も例外ではなく、視認性を意識してきた痕跡を感じるにつけ、その影響を受けてきたなーと思うし、SNSが発達しみんながこぞって表現するようになったから、発信術に関する記事や書籍は人気があるよね。

だけどどうだろう? 読み手や聴き手の側に技術はいらないのだろうか?

Twitterでの炎上する様子なんかを観察していると、誤読によるミスコミュニケーションのなんと多いことか。どれだけ言葉を尽くしてもなお、届かない人には届かない。

それって、読んだり聴いたりする受け取る技術を持っている人が、少ないということがいえまいか。学ぶと言ったらせいぜい「傾聴」くらいで、読解に至っては思いつく限り見当たらない。傾聴もビジネス文脈においては思考に偏りがちだから、本来の意味で身についている人は少ないと感じている。

だからわたしたちは、と大きく括るけれども、誰かから十分に聴いてもらえたり読んでもらえたりという経験が圧倒的に少ない世界に生きていて、実はそれらはものすごく得難い貴重な機会なんじゃないかって思っているの。

また長くなっちゃったな……。③に続きます。次で完結です。

書いているうちに思い出したけど、うたったあとに「いいうただねえ」ってみんなに言ってもらえたのだった。そうなのそうなの。わたしにスポットが当たったんじゃなくて「奏で」が届いてうれしかった!

よかったらみんなもぜひうたってみてね。
らぶ。

Live music by Pf:佐藤まさみ B:土谷周平 D:公手徹太郎
Photo by soeji








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