見出し画像

実際何番煎じまでいけるの?【日記】

二番煎じ、という言葉をご存知だろうか。

薬草・茶などで、一度煮出したものを、再び煮出すこと。また、煮出したもの。
そこから転じて、以前にあったものの模倣や繰り返しで、変わり映えのしないもの。(Wikipediaより引用)

既存のアイデアや商材を(ほとんど)そのまま模倣したもの、と言ったような意味合いで使われることが多い。

どちらかというとマイナスよりな印象として使われる事の多い表現だが、一番煎じが最も良いとは限らないだろう。

例えば日本最古のフリマアプリはフリル(現在はラクマと統合)であるが、一年後にリリースされたメルカリの方がダウンロード数が倍以上多い。ダウンロード数だけを比較して「」とするのはいささか問題有な気がしないでもないが、「一番こそが最高!」というわけではないのである。

では実際の煎茶の場合どうだろう?
もちろん一番煎じこそが至高であり、二番煎じの方が好きという人は(もしいるのならば、だが)白湯でも飲んでいればいいと思う。と言いつつ私の場合普段の生活では二番煎じまで飲むことが多い。単純に茶を飲む頻度が多いため、一番煎じだけで捨ててしまうのはもったいないという心理だ。生活において嗜好品が占める出費はそこそこである。最悪切り捨ててしまえる出費な分、ある程度大事に使いたい。

とはいえ一番煎じと比べれば格段に味と風味が落ちる。もし私が左団扇の大富豪だったら確実に飲まないだろう。

貧相な香りに肩をすくめつつ、もったいないからと二番煎じを啜る。何故文句を言いながら二番煎じを啜ることができるのか。それは、言わずもがな二番煎じをお茶として認識しているからではないか。では、何番煎じからお茶お湯に変わるのだろう???

そんなふとした疑問を検証してみることにした。

うおがし銘茶にゅう。特にこだわりがあるというわけではないのだが、試飲で気に入って以来愛飲している。

無印良品ティーポット。引越しの際になんとなく買った。
茶渋のせいで真茶色になるので月一くらいで漂白剤に漬け込まれる。

多分同じくうおがし銘茶で買ったスプーン一杯に対して、たっぷりお湯を注ぐ。適量はよくわからないが、いつもそんな感じで飲んでいる。

なんとなく気分で蒸らすときもあるが、あくまで気分次第だ。特に冷ます事もせず、ポットから熱いお湯を入れる。玉露なら60度(確か)、煎茶は90度(知らんけど)、これでおいしいと感じているので問題はない。

一番煎じ

どうだろう。最後の方になってくると少し渋いが、多少緩くなってくるとそれくらいの方がいいだろう。お気に入りのカップ(キリンが描かれている、多分ダイソーで買ったものだ)にお茶を注ぐ。美味しい。

二番煎じ

しっかりとお茶の香りを堪能し、二番煎じへと移る。

色的にはあまり変わらない。

流石にお茶だけがぶ飲みするのは飽きるので、茶請けを用意。中野の都こんぶ。
酸っぱい昆布をひと齧り、二番煎じのお茶をゴクリ。

あれ?薄い?

まぁ、こんなもんかな。味もそうだけど香りの喪失感が尋常じゃない。普段二番煎じまで飲んでるけれど、一番煎じを飲んだ直後に二番煎じを飲むことはない。だってお腹パンパンになっちゃうし。比べてみると二番煎じの貧相さが際立つ。完全にボロ布纏ってる。

ここまででだいぶお腹いっぱいなので少し時間を空けて三番煎じへ。時間を置くことで香りも飛んじゃいそうだし、本当は間髪入れずに飲んだ方がいいんだろうけれど、そんなにたくさん飲めないしね。背に腹は変えられない。

三番煎じ

心機一転、お湯に浸かりながらの三番煎じ。半身浴とかの趣味があるわけじゃあないんだけれど、長湯するときはする。カラスな時は本当にカラスなんだけど。

もうね、完全にうっすい。誰かお湯入れて薄めた?って感じ。香りが入浴剤に食われてる。ただ、かろうじてお茶の味はする。全身に新聞紙纏っちゃってるけど、これはお茶だなってわかる。分水嶺じゃないかな、ここ……

四番煎じ

日を跨いで、四番煎じ。朝食のお供に。
色はいうほど変わってないんだけれど、三番煎じの時点であれだから、期待はしていない。案の定、美味しくない

完全な貧乏茶。人の家に行ってこのお茶を出されたら、歓迎されていない歓迎する余裕がないかの二択だろう。ぶぶ漬けが優しく感じられる味だ。

耐えられなくなってペットボトルの生茶を買いに行った。今まで何がRich Green Teaだよ、って思っててごめん。お前、完全にリッチだったわ。

五番煎じ

五番煎じ。なに、五番煎じって。聞いた事ないわ。
写真だとわかりにくいけど、肉眼だと色もかなり薄い。味は言わずもがな。
ちょっと香りのあるお湯、程度。

流石にお茶だけだと厳しいのでチョコボールを食べながら喉に流し込む。チョコボールをお茶で流し込むんじゃなくて、お茶をチョコボールで流し込む。ありがとうチョコボール。

そんな私を励ますかのように舞い降りたエンゼル。銀だけど。ありがとうチョコボール。これがなかったらここら辺でこの検証やめてた気がする。だってもうほぼお湯だし。誰が知りたいねんこんなんって感じだし。でももうちょっと頑張ってみるよ、見ててねチョコボール……

六番煎じ

前言撤回、もう嫌になってきた。不味いのわかってるし、写真も代わり映えしないし。飲んでみると案の定不味い。茶葉の入ったお湯。味も香りも殆どしない。ここら辺から色も分かりやすいくらいに薄くなってきた。

どうしよう、そろそろ謝罪して記事終わりにした方がいいかな?

七番煎じ

ごめんなさい。本当にごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
同じ構図ばかり見せてごめんなさい。心なしか写真も雑になってきている気がする。

写真で見ても色が薄くなっているのがわかる。そこらへんの雑草を煮出したのかな?って感じの色。そろそろ限界かもしれない。

八番煎じ

ピントすら合わなくなってきた。もう完全にお湯。味も香りも無い
色だけ辛うじて残っているが味は完全にお湯。色があるから白湯ではないのだろうけど、なんだろう。茶湯???これお茶って呼んでいいのかな。

九番煎じ

胡散臭い健康飲料みたいな色になってきた。でも味はない。もちろん香りも。
作業しながらちびちび飲んでるけど、気分は最悪。ほんの僅かに色が残っているのが憎い。色さえなくなっちゃえばこれはお湯ですって言い張れるんだけど。

辛うじてアイデンテティを保とうとするな!

十番煎じ

お茶をお湯にするのは諦めて、少し時間を置きました。どうですか?
これ、お茶ですか?

九番煎じの時点で味も香りもしないと言ったけれど、時間を開けたせいか辛うじて香りだけするような気もする。本当に、辛うじてだけど。

キリのいい数字だし、ここでやめてもいいような気がするけど……

十一番煎じ

あーあ。十一って。

何も変わらず。ちょっと色がついていて、なんとなくお茶の香りがする(気がする)お湯。限りなくお湯に近い何か

こんなことをしている間に二つ目のエンゼルが舞い降りた。やめるなってさ。わかったよ。やめないから。

十二〜十五番煎じ

もうさ、気分的にお湯を飲んでるのと変わらないわけ。

これ、百人中百人がお湯って答えるよね?

十五〜二十五番煎じ

ああああああああああああああああ
薄い薄い薄い薄い薄い薄い薄い薄い薄い薄い薄い薄い薄い

ふぅ……

あぁ……

…………

?番煎じ

お前はさ、もうお茶じゃないよ。

検証が長期に渡ってしまったせいで茶葉カビが生えてしまった。
今回は検証方法自体があまり良くなかったかもしれない。もう少し少量の茶葉で、小さいポットで行うべきだった。

大体の結果としては、

美味しく飲みたいなら二番煎じまで。
辛うじて飲めるのは五番煎じまで。
十番煎じくらいまではなんとなくお茶を保っているが、以降限りなくお湯に近い何かになる。

まぁ、五番煎じまで大事に飲む人は少ないんじゃないかな。まして二十五番煎じなんて、ビジネスでも危うい

ちなみにまたエンゼルが来た。
次はオモチャ缶までチョコボール生活でお会いしましょう。

茶々門綾でした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?