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照れじゃなくてシンプルに考えが足らない(プレゼン編)

前回のプロフィール編に引き続き、今回はプレゼンについて書こうと思います。

デザイナーや企画でしたら、コンペや商談でプレゼンをする場面は多くあると思いますが、アーティストにとっても実はプレゼンのスキルは必須です。

アーティストもプレゼン勝負

アーティストがプレゼンをする、ってあまりピンと来ないというか、作品が本質であって、それ自体が優れていれば言語で自分の作品を相手に伝える作業、つまりプレゼンはさほど重要ではない、と思われがちなんじゃないかと思います。

確かに一理あると思います。いくら口ばっかり達者でも、作品が雑で稚拙でどう見たって良いと思えなかったら意味はありません。

ですが、プレゼンはせっかく時間をかけて悩んで作り出した作品に、熨斗をつける重要な大部分を担っていると私は思います。

涙の初個展

日本のギャラリーではあまり馴染みがない事かもしれませんが、NYで個展をした際、オープン前にキュレーターやギャラリースタッフの前でプレゼンをする時間が設けられました。

つまり身内に対するプレゼン、社内プレゼンっと言ったところでしょうか。

というのも、アーティストが在廊して自分自身で来客者の対応をしたり、作品を売ることが日本のギャラリーでは当たり前のようになってますが、海外ギャラリーではキュレーターやスタッフがそれを担ってくれるので、アーティストはまずその彼らに向けて自分の作品の説明、つまりプレゼンをしなくてはなりません。

個展の際も、初日のレセプションパーティーだけの在廊で、あとはギャラリーにおまかせでした。良いのかな〜?って言う気持ちもありましたが、それだけアーティストは“アーティスト”として、特別な存在に扱ってもらえる、と言う事でもありました。

彼らは熱心に私の絵をお客様にプレゼンし、購買へ繋げてくれます。ですのでしっかり売ってもらうためにも、代弁者であり優秀なプレゼンターであるギャラリー側にまずはプレゼンする必要があります。

当然、当時の自分はそんな事知る由もなく、準備不足もいいところ。ましてや場所は外国。英語のプレゼンです。

結果はもちろん、ダメダメでした。

自分の絵を自分自身が説明できないってことがこんなにも情けなくて、腹立たしくて…

個展自体は成功したし、お客様の反応は良かったと思います。

でも、プレゼンを軽視して準備して来なかった事、ましてや晴れの舞台でこんな事をした自分が許せなくて、どうしても我慢できず、帰りの地下鉄で絵の具を抱えて号泣…アラサーの公然マジ泣きとか情け無い限りでした。

大して意味のない絵

自分の絵をきちんと説明できなかった原因は英語力か、と言われると答えはNO。そこで、プロフィールの話でもあったように、恥ずかしいから思っていることを言わないんじゃなくて、そもそも考えが足りなかった、という事に気づいてしまうんです。

一番はコンセプトメイキングの深みのなさ。

アートとはなんぞや、など大それた事を語れるような人間ではありませんが、今日のアートにおいて、一番重要なことはコンセプト、もはやコンセプト合戦と言っても良いような気さえします。

上手い下手とか、いわゆるテクニック云々が評価されたものさしは、上手い絵をかける人が少なかった一つ前の世代で終わっていて、絵の上手い人が溢れかえってる昨今、アート作品を作る理由ってなんだろう、価値のあるアート作品ってなんだろう、と考えるとやはり“意味”や“メッセージ”が込められた作品、つまりコンセプトが大きな意味を持つのではないかと思うんです。

まだ美大生だった当時、合評の時間で順番に作品のプレゼンをしていた時のこと。

よくありがちな「この絵は私の内面を表現しました♡」というプレゼンをした生徒が何人かいました。

そう言った発言に非常に厳しい先生がいて、「それは自己満足です。オ◯ニーは家でして!」と。

(もしかしたらもうちょっとソフトな言い方だったような…)

自慰的創作欲求って若いうちにはありがちかもしれませんが、確かにその人の作品を見て、もっとあなたの内面を見て見たい!とは思わなかったな〜、と。

もし、本当に彼女がしっかりと考えて、意味を持たせて、コンセプトメイキングしていたのなら、単純に「内面を表現した〜」とだけ発言するような稚拙なプレゼンにはならなかったでしょうし、先生に指摘されても反論ができたはず。

あと、「〇〇みたいな〜」とか「△△的な〜」っていう言い回しも照れ隠しじゃなく、考えていない証じゃないかなと感じます。

やはり考えていないとプレゼンが出来ないんですよね。

海外アーティストのプレゼンの上手さよ

海外で活動したり、海外の展示を見に行く機会が多かったので、とにかく思うことは海外アーティストってプレゼンうますぎ!!!って事。

なんでそんなにプレゼンが上手いのか、というと当然、そもそも作品が非常にコンセプチュアルだから

最近見に行った、台湾のアートイベントなんてまさにそれでした。

社会性を含んだメッセージが込められている作品が多い印象でした。作品に何か気になるモチーフや表現が入っていると、作家がいる場合はすかさず「これはこういう事を表現しているの?」と聞くようにしているのですが、それに対する答えの量や熱気が圧倒的に桁違いなんです。

それは日々考えて、想って、悩んで、そしてそれを言葉にアウトプットする作業を惜しんでないからできる事だな、と感じます。

それから嬉々としてプレゼンしている姿も印象的でした。恥ずかしさなんて微塵も感じない。

それは台湾のアート土壌が非常に良く、来場者も多く購買に繋がるチャンスも多い、という背景がそれをさらに援助している、ということもあるとは思います。

そういった姿を見ると、なんだかお尻を引っ叩かれたような気分になるんですよね。

まだまだだな、やばいな、と。

照れてる場合じゃないですよね。


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