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破壊と再生


最近のわたしは変だ


遅刻はするし、

コンタクトをつけ忘れたことに横断歩道のど真ん中で気づき
登校する小学生たちの間をUターンして戻ったり


ついには
寝落ちしたままの記事を完成させたとおもったら、
ワンクリックで消してしまうという・・


なので
これは3回目のトライとなる


破壊と再生だわ・・とか思いながら
今度こそ無事アップできることを祈って・・


“プライドの高さは
それだけ自分が頑張ってきたってこと。
誰にも迷惑かけていなければそれでいいじゃない”


って
いつかツイッターでつぶやいた・・


たしかに誰にも迷惑はかけてこなかったかもしれないケド
今になって全て自分にふりかかってきている・・


春分の日を過ぎてからは
今まで自分が発してきたことが回収される時期らしい


愛をなげかけてきた人は
愛がかえってきて


批判をなげかけてきた人は
批判がかえってくる


わたしは
頑張るということをしてきたので
頑張ることをやめた今
それらが自己否定となってかえってきている・・



どういうことかと言うと、


ほんとうは
人は息をしているだけで存在していていいのに

今までわたしは
頑張らないと自分は存在してはいけないと思ってきた


自分の存在は
人に認められて初めて
そこにいていいことを許されるのだと思っていたから


人に認めてもらうには 褒められるために
何事も頑張ってきた



でもそれは
私が勝手に自分に条件付けをしていただけで
頑張らなくてもわたしはここに存在していていいはず



これに気づいてから今現在
頑張ることを止めて
ここに存在していいと自分で許可を出し続けている途中



長い間頑張ってきた習慣から
頑張らないことへの抵抗はあるし

頑張ることをやめた今
ことあるごとに “ハァ〜自分ってダメだなぁ” と
自己否定がちょくちょく顔を出す


極め付けの自己否定が浮き彫りになった日、
腰掛けたバス席の目の前に


“散骨 海葬 和布刈神社” 


の文字が目にとびこんできた時には
思わず一人で笑った


「いや、たしかに散骨は希望するけども
もうちょっと生きます。

そして、関門海峡の海は激しいから
わたしは穏やかな海がいいです」

と思った


やっぱり笑うと軽くなる♪


“プライドの高さは
それだけ自分が頑張ってきたってこと。”


あらためてこの言葉を見ると
すごく重たく感じる


なんかこう、
ぶっとい支柱が地下深くに埋まってる感じ

まさに男性性


ちょっとの衝撃ではビクともしないであろう
このぶっとい支柱が
ヒビ入りガラガラと音をたてて崩れた


見事に折れた


今までずっと抱え込んでいた重たいプライドが
こうして崩れることによって
はじめて自分の根深いとこまであったことに気づく



あの時と似ている


インスタライブで自分の醜態をさらし続けたことで
腐りきってた罪の意識を
自分がずっと抱えこんでいたことに気づいた



いろんな角度からパンチをうけ
痛みを感じ、その度に自己否定がうきぼりになる


自分を消し去りたいほどの恥ずかしさに悶え


それでも心の声を聞き続けた


もう傷つきたくないし
わざわざパンチを受けに行く必要はないでしょ?


“登山家はどうして山に登るのか?
そこに山があるからだ”


せっかく思考が自分を守ろうとしてくれてるのに
心の奥深くでこの言葉が反芻する


仕事が遅くまで終わらなければ行けないし
もし仕事が早く終われば行こう、と
宇宙まかせにしようとしている自分がもうイヤだった


ギリギリまで
こんな自問自答をくりかえしていた


結局、終業間際には
“早く仕事終わってくれ〜い” 
と思っている自分の心が優勢になっていた



覚悟

わたしの場合
覚悟はそのあとについてきた


またパンチをうけて痛みを感じるよ?


それでもいいって心は言うけど
そんなにズタボロになると
あとあと修復まで時間かかるよ?

それでもいい


わたしならきっと
自分のことを自分で癒してあげられる
癒えない傷も
わたしならなんとかするから


もはやバカ 笑


わかってる


わたしの心の暴走は
もうどうしたって止められないほどの
大バカだ


と同時に
これまで意識したことのなかった「覚悟」というものを知った



覚悟=大バカ=強さ=自分の意志
なのだということを知った



ツイッターも
“ツイッターだけ始めない理由はない”
という八木さやさんの言葉で始め、

インスタライブも
“やりたくないことこそ実行”
という言葉のまま始めた


この時から気づいてはいたが
わたしは本当に大バカなのだ


でも大バカでよかったとも感じている


この大バカであるおかげで
常に心のまま動いている


余計に傷ついてる気もするけど


傷ついた分だけ
自分の中の重たいものを
ホイホイと捨て去ることができていて

どんどん身軽になっている


わたしはどうしてもこのプライドの高さを
壊したかったので
へし折ってくれて感謝している


根強くあった男性性も弱まり
最近は女性性を感じることも多くなった


頑張ることをやめ
これから自己否定と顔を合わしても
やさしくゆるしてつつみこんでいきたい


はごろもをまとい
琵琶をかなでる天女のように

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