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完成した喜びと

今日、やっとこさ作ったプログラムを発表し、講評された。

先日のnoteで、たとえ評価されなくても、自分が満足できればいい!ということを書きました。

自分の中では、満足したし、頑張ったから良し!と思っていたけれど、実際に、周りと比べて反応が普通だった時、やっぱりちょっとショックな自分がいました。

私よりも、すごいプログラムを作っていた人はもちろんいたけれど、これなら私の方が頑張ってるんですけど!?みたいな風に思ってしまって。

他の人は、デザイン性が良かったり、基礎に忠実だったりしているものが多かったため、余計にそう感じたのだろうか。私の私利私欲のために作ったプログラムは、質素で、ちょっとした不備もあった。

それでも、夢に出てくるくらい今日の講評を楽しみに、びくびくしながら待っていたのは確かで。

時間が経てば経つほど、私の費やした時間がどれくらいかなんて他の人にわからない。同じように周りの人がどれくらい時間をかけて、頭を使って凝ったのかもわからない。だから私の方が!とか思うのは筋違いだって自分でもわかるんだけどなあ。

個人の好みも大きいだろうし、もし別のものなら評価が良いとわかっていたとしても、私は今回と同じものを作っただろう。私は作りたいもの、やりたいことしかできない、頑固者だから。

自分が熱意を持って作れば作るほど、評価されることって結構怖いなと、身を持って実感した。

実は、熱意を持って作ったものって、私にはそんなになくて。作ったものというか、作って完成まで辿りつけたものと書くべきだろうか。

私は、こうしよう!とひらめいて、考え抜いて作りこむほど完成しないのだ。単純に時間が足りなかったりの中途半端で終了。頑張ったものほど、作りかけの状態で家に持って帰ることが、多かった。

でも、その分、完成すればすごいものが作れるという希望を持っていられた。期待が持てたから、評価にショックを受けなかった。

最近、やっと頭を抱えて、悩み抜いたものを完成まで持っていけることが増えた。完成の喜びを知れた一方、技術などの反省、評価を受ける感情、中途半端だったら感じなかった感情はまだ、ちょっと受け止められない。

ただ、今回、プログラミングを学び、作る中で、自分がイメージしたものをそのまま作ることはどれほど難しいのか実感できた。反省点や改善も多い結果となってしまったけれど、その中でも自分の力で理想を形にできたことはとてもいい経験になった。


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