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車の窓から見た真っ暗な空に吸い込まれそうだった

少し、というかかなり暗くて重めのお話です。

先日、施設にいた祖母の具合が悪くなった。

電話越しに聞こえる話から、あまりよくないことはすぐにわかった。すでに涙声の母の顔を見ながら、ああ、やっぱり後回しにせずに書けばよかったとnoteに祖母の話を書こう書こうと思いながら、結局書いていない現状を後悔した。

もともとこのブログは祖母の介護のことを記録しておくことも目的の一つとして始めたものだった。でも、そんなに書いてこなかったのはやっぱり介護されている今が祖母の人生ではなくて、もっともっと楽しい思い出や心に残っていることがあって、介護生活のことだけ書くのはなんだかとても辛い気がして書けなかった(コロナになって会うことが減ってしまったのも理由の一つ)。

最近、弟の誕生日が近づくにつれて「○○ちゃん(弟)の成人式までは生きていたいね」と祖母が言っていたことが達成されてしまったら、もうこの世に未練はなくなってしまうんじゃないか、そんなことを書いてしまったら本当にそうなってしまうんじゃないかと思って、たやすく祖母の話を書けなかったのだ。

祖母の現状の話はどうしても暗くなりがちで、5月が始まったばかりでそんなこと書いても、とか、もう少しまとまってからなんて言い訳をしていた。

電話をもらってから泣く母を見て、熱く震える身体に反比例するように心は冷たくなっていったと思う。きっと私なりの防衛反応だ。至って冷静に行動して、頭の中では最悪の想像をして現実に備える、いつものパターン。

そんな心の中で、私は祖母が倒れたときのことを思い出していた。

お弁当を食べていた時、母から「おばあちゃんの体調が良くないみたい」というLINEを見て、私は風邪でも引いたのだと思っていた。

高校の授業が終わって駅で母と待ち合わせをした時、ベンチで座ったいた母の目が真っ赤だったのを見て、ただ事ではないと悟った。高校2年の冬のお話。

それから、祖母は東京の施設で生活をするようになり、私は受験勉強そっちのけで毎日祖母に会いに行った。

元気だったころの祖母では考えられないほどの暴言を吐いたこともあった。その暴言ですら、そのころは元気だったよねと思えるほどに大人しく、無口になっていった祖母。

そんな今までの出来事を思い出しながら、病院に行くため車の窓から見た外は、まるで吸い込まれてしまいそうなくらいの闇だった。深夜3時の空は、あまりにも無慈悲な現実を私たちに突き付けている気がした。

結局、祖母は病院の方々のおかげで今もなんとか生きている。

祖母との思い出は書ききれないくらいたくさんあるから、もう少ししたらゆっくり書こうかな。

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