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不登校の親として10年以上。本当に子どもの力になることを模索したい

不登校の親として10年以上。
ずっと不登校の子どもとの関わりを模索してきた。

でもこの3年はそれまでとは全く違ったアプローチに変えた。

それは
今の教育や社会の仕組みではなくて、
本当に子どもの力になること、
子どもに本当に必要なことを探すこと。

特に長男が大学2年の途中に再度動けなくなった時に確信した。

どんなに成績で評価されても
努力できていても

子どもの自信にはつながらない。

外の評価や価値観に合わせられても自分に合っていなければ苦しいんだとわかった。

長男が大学の途中で動けなくなる前、次男、三男と不登校になって、子どもとの関わりに何か足りないことがあると思うようになった。

そこで育児書や不登校の本だけではなく、人間の考え方や脳の仕組み、トラウマや無意識など沢山の本を読むようになった。

家事や移動、待ち時間もずっとイヤホンをして、聴く読書を続けてきた。

そこで今までの価値観ややり方に疑問がでてきた。

長男が動けなくなった時、心底思った。

今までの子どもへの関わりや子どもに求めていたことが子どもの力になっていないのではないだろうか。

反対に子どもが自分を信じる力を奪う物の見方、受け止め方を教えてきてしまったのではないだろうか。

外の評価や価値観、求めることに合わないと自分はダメなんだと思わせてきてしまったのではないだろうか。

合わせることができたとしても、ありのままの自分ではダメだと感じさせ、無理をさせ、自分らしく居られない苦しさを感じさせているのではないだろうか。

こんな風に考えるようになった。

この3年本を読む中で違和感や間違いだと感じたこと。

実際に子どもとの関わりに取り入れ、子ども達と話し合ったり、気持りを聞く中で、実感してきました。

その過程をTwitterで発信してきましたが、note記事として残していこうと決め、少しずつ記事にしています。

今回は自分がたくさんの読書や子どもと対話してきた中で、今大切で伝えたい思いを書きたいと思います。


noteで発信していきたいこと

自分が育ってきた中で社会や学校、仕事、子育てで学んで、良いことだと思ってきたこと。

今はそれが間違いだったかもしれないと思うことがたくさんある。

自分や子どもに悪影響だったと感じることがたくさんある。

誰かや社会にとって都合がいいだけで本当は自分が苦しいこと
合わせていれば安心と思っていたけれどたくさん悪影響があること

子どもの関わりの為に読んだたくさんの本で自分の生きづらさや自分を失くしていたことに気づきました。

noteでは本から学び、子どもとの関わりや自分の生き方、日常の選択で取り入れ、良かったことを記事にしていきたいと思います。

◆子どもが自分を信じ、自分の中に元々ある力や願いにつながれるように関わっていきたい。

◆自分が何を感じ、何を大事にしたいのかを知る体験ができるようにサポートしたい。

◆上手くいかないことも気づきや学びがある。
自分を知ることにつながる大切な体験。それが大きな力になると子ども達が感じられるように声かけしていきたい。

今の私の願い。
大切にしたいことです。


長い間子どもが社会に慣れること、社会に適合することを求めてきた。

それができないのではないかと息子たちを心配の目で見て関わってきてしまった。

ダメだから変えなければという視点で関わってきてしまった。

それが彼らの自分を信じる力、自分なりに挑戦しようという勇気を奪ってきてしまったととても後悔しています。

子どもだけでなく、親、大人も、今は自分の力を信じ、自分らしくやってみることが難しくなっていると感じる。

非難や否定、恥や罰を与えコントロールしようとすることが溢れていると感じます。

それは外の社会だけではない。

自分の内側で自分自身を見張り、責め、罰し、ずっと自分を傷つけ続けている。
自ら自信と力とエネルギーを奪ってきたと感じています。

そのせいで自分の力に気づけず、外の価値観や評価ばかりに目を向け、合わせ、恐々生きている。

それが今までの私でした。

ありのままの自分につながり、自分の力を信じ、やってみる。
自分の価値観や願いを知り、そこから選択する。

それが難しかった。

今わたし自身が家族、友達、パート先で自分の価値観から言動を選択する挑戦をしています。

自分をわかってもらえる体験もして、少しずつ心地良さを感じています。

でもまだまだ怖さもあります。

でもこれからも模索していくつもりです。

子どもたちともたくさんの話しをしています。

○○しなければと思っていたことが本当にそうなのか?

子どもや私が思い込んでしまった世界や人や自分に対する思い込みを対話しながら解きほぐしているところです。

その過程で

自分はどんな風に生きたいのか
何を大事にしたいのか
それはどんな形だったら実現できるのか

話し合って、やってみることで見つけていきたい


固定ツイートに書いていることも載せたいと思います。

ずっと息子たちにどんな思いで関わってきたのか。
そこから今どんな思いで子どもと関わり、発信しているのか。

読んでもらえると嬉しいです。

子どものことを不安から見ていた。

以下にツイートを引用します。

長男が小1で行き渋りが始まり10年以上、心から寄り添うことはできなかった。

2年生の秋に行き渋る彼に学校に行くか市の不登校の子が通える施設に行けと迫り、その施設に連れて行った時、そこの施設長さんに

「お母さん、この子の目を見てみてください。エネルギーがなくなっている。今は休む時です。」

と言われ、初めて彼のことをきちんと見た。
その時の目を忘れない。

毎日共に居たのに天真爛漫に笑う子が笑顔を無くしていることにさえ気づけなかった。そこから彼が休むことを受け入れた。

でもそれは表面的にだった。

再度小3で登校チャレンジしたが、五月雨登校。登校がしんどい日の朝の葛藤は見ているほうも辛かった。4年生で完全不登校。その後3年フリースクール。2年ひきこもり。その後通信制高校、大学と彼を見守りながらいつかみんなのように慣れる日を願ってた。

そうやって受け入れてるようで心の中では彼に変わることを願っていた。

口に出さなくてもそれがどんなに酷いことか。
今も後悔は尽きない。

長男が高校生の時に次男、三男と続いていじめから不登校。
三男も元々天真爛漫でニコニコしている子だったのが癇癪や凄い反抗で日常生活もままならなくなり、そこでいろんな話しをするなかで少しずつわかった。

学校で起きたことでどれだけ傷ついているのか。
そのせいで性格まで変わったようになること。
自己否定が凄く強いこと。

やっと不登校の子に大変なことが起きていることを知った。


そして変わらなければと思っている私の気持ちが更に彼らを深く傷つけることにやっと気づいた。

また彼らを受け入れている態度をとっていると思っていた。
でも気に入らない言動に対していちいちがっかりした表情や不快な顔をしていることにも気づいてしまった。
彼らはずっとこの顔を見てきたのかと凄くショックだった。

そこから少しずつ学び始めた。そんな矢先長男が大学に行けなくなった。

彼の辛い気持ち、将来に対する不安を感じた。
「自分はこのままで生きていけるのか?でもどんなに頑張っても辛い。」

休学をすんなり受け入れたのは自己否定や彼が自分を押し殺し頑張るやり方では彼は幸せにはなれないと心底思ったから。

大学に行くとか、働くとかそんなのしてる場合じゃない。

まず彼の傷を癒やすこと。
そして彼の自己否定をなくしていくこと。


でも何より彼が私の人生に居てくれることが本当に有り難いことだったんだと気づいた。

産まれた時からどんなに可愛がって、彼が居ることが幸せだったかを思い出した。

長い間なぜ彼を変えようと思ったのか?

ただ共に居る幸せを感じたら良かったのに…。


暫くは自己否定や自分を責める毎日で学べば学ぶほど、自分の間違いに気づき、辛くて落ち込んでばかり。

でも反対に学びの中で、自分の感情を大切にすること、弱さや苦手もある自分を認めることがどれだけ大事かと、それを蔑ろにする社会に居ることを知った。

また日々を幸せに生きること、共に居ることを喜ぶこと、自分の好きなことを楽しむことがどれだけ大事かも知った。

実践していくうちに確信に変わっていった。


そんな流れを経て、今があります。

親が不安や焦りから子どもにみんなのようになって欲しい、社会に慣れて欲しいという気持ち痛いほどわかる。


そして未だに私も社会のなかで生きていくには社会に合わせることが必要なのではないかと思う時もあります。

その中で私が自分らしく社会と関わる挑戦中。

そこで傷つくこともあると思う。
今も新しいパート先でも葛藤がある。

それも全部感じてみようと思う。

そして自分なりに考え、自分らしい言動を選択し続けたいと思う。

私が自分らしく生きること。
その安心を広げていくことでいつか彼らの安心につながりますようにと願っている。

長文になってしまった。今の発信だけでは子どもに寄り添う親のように見えるかもしれない。

でも相当長い間本当に大切なことに気づけなかった親だったと知って欲しいと思いました。

気づけなかった頃の私だったら今の発信を読んだら傷ついたかもしれないと思うこともあります。

それでも私は学んだことで後悔することもあるれど、安心したり、心が軽くなったことがたくさんあるので今のような発信をしていきます。

最後まで読んでくださった方ありがとうございました。