教育のカタチ2 コロナとこどもと学校と

今日の時点で、日本のほとんどの学校は、少なからず学校を再開し多くのこども達は学校に通い出していますね。 ひとたび学校が始まってしまえば、大人もこどもも所謂「通常業務」に戻り、日本各地で、いつも通りの生活が送られ始めています。 

わたしの娘が通う小学校でも、先週末あたりからこれまではできなかったこと(図書室を利用するなど)が少しづつできるようになり、こども達にも笑顔が戻ってきているような気がします。 それはそれでとても嬉しいし、わたしも溜まっていた仕事が片付けられたり、家事がはかどったりと学校があるありがたみと、思った以上にこども達の色々なところまで面倒を見てくださる先生達に対する感謝でいっぱいです。

それと同時に、学校の役割ってもう少しこぢんまりとしていてもいいのではないかなぁと思うのです。ひとりの先生が、1日を通してやらなければいけないこと、考えなければいけないことが広すぎる気がするのです。こども達の勉強に、礼儀やマナー、安全について、健康管理に人間関係の構築。勉強については英語にプログラミングにその他諸々が含まれ、それに事務作業まで加わって。特に今は休校中にできなかった課程をこなさなければと背中をグイグイ押され....。これではどんなに優秀な先生でも、全員のこども達について思うような関わり方ができなくて当然では...。特に今は、その休校中にするはずだった課程を急いでこなそうとするあまり、こども達の心がおいてけぼりになっている気がしてなりません。

このコロナ騒動もあって、学級を小さくするという案が出ては消え、また出ては人材不足や場所の問題から壁にぶつかり、となっているかと思います。でもこれを本当にいいチャンスとして、政治家や省庁に働く方達だけではなく、わたし達大人がちゃんと考えるべきだと思うのです。

例えばですが、ホームスクーリングをもっと公に認められる教育のあり方とする。これまでは、学校にいけなくなってしまったこども達が、仕方なく選択している、という風に捉えられてきた学習の形を、希望すればどのこども達でも受けることができるようにする。そしてただただ自宅学習を認めるということだけではなくて、ホームスクーリングのこども達が週に何度か学校のような場所に通い、勉強の進捗状況を確認したり、友達を作ったり、体育や課外活動をしたりする公の場所を、市町村や国が主体で設けていく、とか。 もっともっと既存のフリースクールに予算と人員を割き、少人数制を希望する家庭などがフリースクールも当たり前の選択と思えるように認知してく、とか。 既存の先生の負担を減らし、また新たな雇用の場を作りながら、こども達への教育をより充実したものにしていくことはできると思うのです。

このコロナ騒動がいいきっかけとなって、こども達の教育のあり方について考え始めた親御さんは多いはず。 詰め込み教育をまさに小さな体で痛感している娘の姿を見て、もっともっと学びを楽しいものに、そして意味あるものにするために大人が諦めずに考え続けなければ、と思わずにはいられません。



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