どんな現実を創りたいかは自分で決める

前のセミナージプシーの投稿に対して
伊藤さんが嬉しい記事を書いてくれました。

教える立場として、
師匠を超えていくのが正しいと
堂々と言えるのは凄いと思います。

伊藤さんの記事を読んで
気づいたことがありました。

「伊藤流深層心理学」って何なの?
ってことを、
僕が自分で分析すると、

家という建築物を立てるための
基礎工事
(家を作るための準備)

とか、
そういうイメージなんですね。

いちばん大切なことは、
自分がどんな建築物を建てるのか?

のような、
どんな現実を作るか?
っていうことが人生の醍醐味なのだと思うので、

ジプシーの自分は、
自分がどんな建築物を建てるのか?
という部分を
かなり人に依存していました。

スピリチュアル系のセミナーであれば、
波動の整った空間の中で
誘導に沿ってイメージングをして、
そこで出てきたイメージが
あなたの最高の未来です、みたいな。

また、コーチング・コンサルをしている人で、
「自分は目の前の人が、
どういう道をたどれば
成功できるのかが直感で分かるんです」
という人に話を聞きに行ったり。

どちらも、
自分がどうしたいのか
どこに進みたいのか
という私の意思がない
んですよね。

凄い人、凄い波動の中で出てきた答えは
きっと素晴らしいものに違いない、
それに従えば自分は成功できるに違いない。
こんな思い込みがありました。

また、成果を出すためには
行動や試行錯誤が必要なのに、
なぜか上記のようなもので
導き出された未来なら、
スルスルと楽に到達できるんじゃないかと
思ってしまうんです。

結果として、凄い人から導き出された答えが
自分の納得のいかないものだったり、
成果を出すための行動が続かなかったりして、
そのままフェードアウトしてしまう訳ですが(笑)

文字で書くと滑稽ですが、
当時はかなり真剣に学びに行っていました。
自分の人生を何とかしたかったから。

こういう苦悩の時期があったから、
今の記事が書けるし
伊藤流の良さもより感じられるので、
ようやく良い思い出になりつつあります。


伊藤さんの記事で、
マスターコース受講生の方が

もしかして、
私は神格化してるんじゃないかと
ちょっと不安になりました

みたいなコメントをされていたので
私が思う「神格化」と「尊敬」の違いを
書いてみます。

神格化
◯自分は間違ってた
◯この人の言うことが全て正しいんだ
◯この人に従ってれば上手くいくはずだ
◯言う通りにできない自分は駄目なやつなんだ

尊敬
◯この人の言ってるこの内容は為になるな 
 自分の生活にも取り入れよう
◯困ったことがあるから相談してみよう
 でも最終判断は自分でしよう
◯尊敬しているあの人と、
 この部分では自分の考えとは合わないな
 価値観が違うから合わない部分もあるよね

神格化してると、
相手の言う通りにできないとき
無駄に自分を責めてしまうという
弊害もあるなと書いていて気付きました。

文字にすると頭が整理されるし、
気づきがどんどん出てくるので
ブログを書くのは面白いですね。

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