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内助の功の真の意味


私が幼稚園生の頃、将来の夢は何?
と大人に聞かれたら、女の子は取り敢えず
「お嫁さん」
と答えるのが流行っていた。

小さな子どもで、お嫁さんの意味すらわからずに、ただ女性の幸せなゴールくらいのふんわりとした意味合いで使っていた。

まあ、「お姫様になりたい」と同じくらいのニュアンスだったと思う。


今思えば、将来何をやりたいかを幼稚園に通うくらいの子どもに言わせるほど、ナンセンスなことはない。
この世界ではいったいどんな体験ができるのか。
まずはそれを知りたいのに、生まれて数年そこそこでそんな判断ができるほどの手持ち材料は集められていないから。

こうして、誰かに都合のいい誘導に乗り、自分の言葉の呪縛に縛られて、「将来、なにか凄い存在にならなければならないのか」と思いこんでいく。


因みに私は幸いにも、幼稚園児の頃将来の夢を描くように言われて
「飛行機になりたい」
と心にもないことを書いていたため、そのときはまだ変な呪縛には縛られていなかった(笑)


さて。
将来可愛いお嫁さんになりたい。
と思わされた純粋無垢な女の子に、次に待ち受けているのは「良妻賢母」と「内助の功」という呪いである。


お嫁さんになる以上は、良妻賢母と内助の功は必ずセットメニューにされる。

良妻賢母とはなにか。
何を持って妻として良いのか。
賢い母とはどんな母の姿になるのか。

ここにも、誰かに都合のいい呪いがたんまりと潜んでいる。

人の好みも個性も特性も、十人十色なはずなのに、何故ここだけ判で押したように、誰の価値観かもわからないようなモデルケースを押し付けられるのだろう。


そして、内助の功とはなんなのか。
内があれば外がある。
外で7人の敵と戦う夫を、黒子のように助けるのが良い妻だとでも言わんばかりの、この言葉だけれど、もう突っ込みどころが多すぎて、もう何から突っ込めばいいのか困り果てる位。

この場合、外=社会活動を指していると思うが、まずは敵が居るという初期設定が何かおかしい。
この世界はリアルドラクエなのか?!
と突っ込みたいが、ドラクエのほうがモンスターが仲間になるぶんまだ楽しそうだ。

そして、洗濯をしたり掃除をしたりするのが好きな男性が外でとても苦手なことをしながら働いて、そういうことが苦手な女性が家の中で洗濯をしたり掃除をしたりしていたら、お互いに気持ちが病んでくるのも当然だろう。


そもそも、夫婦となった二人がいるとして、誰が何をやるかなんて単なる役割分担なのだから、夫々にやりたいことをやればいい。
大抵の夫婦はお互いの、自分とは違う個性に魅力を感じているものだから、それで上手くいくことのほうが多いと思う。
二人ともやりたいことが一致していたら、二人でそれを一緒にやればいいだけだ。


それを、勝手に社会風潮という誰の価値観かもわからないものに決められてしまうから、途端に人生が面白くなくなる。


「誰が稼いできてると思ってるんだ!」
「なんで私ばっかりやらなきゃならないの?!」

なんて言葉は実は、"嫌なことを無理してやってます"と解りやすく怒っているに過ぎないのだ。


また、内助の功という言葉には従属という意味もはらんでいる。
つまり、奴隷ということ。

妻は夫の奴隷として良い働きをせよ。
と、口当たりの良さげな言葉で言っているのだから、そんなことを言われた女性は、例え家事が大好きであっても、苦しくなる。
そんな主従関係から解放されたくて、「私だって外で働く!」と思うようになる。

男女平等、ジェンダーフリーという言葉があるが、もう、性別でモノを語っている時点でおかしな事になっている。
一番性別に囚われているのは、それを熱心に語っている人々ではないかと感じることがある。


ただ、それをやるのが好きな人が好きなことをやればいい。
そこに、男女云々は本来まったく関係がない。

どんな主張であれ、性別に対して激しく感情が動いているならそこには、少なからず劣等感が隠れている。


それを性別にかこつけて埋めるよりも、私が私らしく。あなたがあなたらしく。
ただ、それを大切にして生きてみることで、そんな劣等感が解けて消えていく人生を歩めたら、きっと春のひだまりのように幸せなんじゃないかな。


そんな風に感じる。


あなた自身が幸せになることが
幸せの連鎖



#国際女性デーによせて
#わたしの仕事