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月のような女性


「次の方、どうぞ。」
私の声とともに、静かに扉が開く。入ってきたのは20代くらいに見える女性だった。
「よろしくお願いします。」
私の目の前に着席した女性は、緊張した面持ちで真っ直ぐ私を見つめてから、ゆっくりと頭を下げる。

「今日は、どんなことを観ますか?」
そう尋ねると、女性は少し眉をひそめたような表情になり、小さな声で話し始める。

「実は、先日失恋してしまいまして……。」

彼女の話をかいつまめば、職場内に憧れの先輩がいて、一年ほど肩を並べて仕事をしていくうちにその先輩に恋をしたとのこと。
その先輩の堂々とした立ち振る舞いや、上司相手にも臆さず自分の意見を出す姿などを間近で見ているうちに憧れを抱くようになり、先日二人きりになれるチャンスがあった際に、衝動的に思いを告げたとのことだった。

「彼に脈はないんでしょうか。私、どうしても彼に振り向いて貰いたいんです。」
そう小さな声で話す目の前の女性は、清楚で儚げな美しい顔立ちをしていた。

「彼は、あなたになんと言っていましたか?」
なんと言って断られたのかを、念のため聞いておこうと思った。
「申し訳ないけれど、君の気持ちには応えられないよ。って言われました。」
改めて確認するまでもない、テンプレートのような断り文句だったようだ。

堂々としているという彼の姿の隣に、この自信なさげな女性が並んでいる姿がどうにも想像できない。自分には無いものに憧れるこの女性の気持ちはわかるが、彼にとったら興味を持てる対象ではないのだろうなと思いながらも、私は占い師として、すべてカードの結果で伝えることに徹している。

「それでは、カードに尋ねてみましょうね。」

目の前のテーブルに敷き詰めた朱いビロードの布の上に、タロットカードを並べていく。
展開したカードの、彼女の位置には大アルカナの【月】。
彼の位置には大アルカナの【皇帝】。
やはりな、と思う。

「彼は威風堂々とした人ですね。統率力もあって人の輪の中でどんどん自分を生かしていけるような人で、出世も早いのではないですか?」
そう尋ねると、目の前の女性の瞳がキラッと嬉しげに輝く。
「そうなんです。他の女子社員にも人気が高くて、彼を狙っている女の子は多いんです。だから誰かにとられる前に、彼に私を好きになって貰いたいんです。」

数秒絶句した。
そんな風に思っているうちは、この【皇帝】の気持ちなんて掴めっこないだろうな。
そう思いつつも、この女性がまさに【月】のカードがあらわす状態なのだと確信する。

「それで、私はどうしたら良いのでしょうか。」

女性は手をもじもじさせながら、私を上目遣いで見ている。
彼の【皇帝】のカードの横に、一枚のカードをめくる。

そこに現れたのは、【ソードのエース】。
「彼は、今仕事が最高に楽しくて忙しくて、恋愛なんてしている場合ではないんじゃないですか?」
そう尋ねてみると、女性はガッカリしたように肯く。
「今は彼が仕事以外に目を向けるのは難しいと思いますよ。恋愛とかそういう気持ちではなく、同僚として仕事をサポートしてあげるのが、彼にとって嬉しいことではないでしょうか。」
そう伝えると、女性は不満そうに目を細める。
「そんな悠長なことしていると、他の女に彼を盗られちゃいます。私は彼の彼女になりたくてここに来たのに。」

「彼のこと、好きなんですよね?」
私は、改めてそのことを確認した。
「好きです!」
彼女は真剣な顔で大きく頷いた。

「では、彼が喜ぶことをして差し上げたら如何ですか?」
優しい表情でそう伝えてみたが、目の前の女性はあからさまに肩を落として見せてくる。
「彼女になれたら、幾らでも彼女として彼を喜ばせてあげたいんです!!」

いや、そういうのちっとも喜ばないだろ……という私の個人的な本音は飲み込んで、もう一枚カードを彼女の【月】の横に開いた。
それは【ソードの8】だった。

「うーーーん。カードには、あなたの本心は別のところにありますよ、と出ていますが。」
そう伝えると、女性は首を傾げた。

「話は変わりますが、あなたのおとうさんはどんな方ですか?」
「父ですか?」
女性は、何故今そんなことを質問されるのかと一瞬不思議そうな表情を浮かべたが、これも恋愛を成功させるためなのだろうと気を取り直したのか、ニコッと笑った。
「父は立派な人です。いつもしっかりとした自分の意見や主張を持って居て、父の言う通りにしていれば間違いないんですよ。あ、そうそう、彼はそういえば私の父と同じようなタイプだと思います。だから私、彼に惹かれたんですね。」
驚くほど一気にそうまくし立てた女性は、急にテンションが上がったように見えた。
「私は父にとても可愛がられて育ちました。だから、彼とも上手くいくって思えるんです!」
彼女は興奮気味に少し身を乗り出しながら話を続けた。
「私、彼が言うことはなんでも賛成してたくさん後押しをしているんですよ。彼の思いが実現するように、上手く行くように、私が出来ることならなんでもしてあげています! これって、あげまんって言うんですよね。ね、この調子で彼を助けていれば、絶対彼に好きになってもらえますよね!」

すっかり希望に目を輝かせ始めた女性を前に、私はこの女性にどう伝えようかと言葉を探し始めた。
私の目の前には、さきほど開いた【ソードの8】がある。
がんじがらめに縛られて、目隠しまでされて、突き立てられた剣に囲まれて身動きができない女性のカードだ。

目の前で目を輝かせて嬉しそうに憧れの男性の話をするこの女性は、紛れもなく【月】であり【ソードの8】なのだ。

そして、【皇帝】の彼は【ソードのエース】で、この彼女をバッサリと切りたいと思っている……。

心を決めた私は、この2人のストーリーに少しだけ加担することにした。
もう一枚のカードを、【皇帝】と【月】の間に開いて置いた。それは大アルカナの【太陽】のカードだった。

「今から、カードから読み取れたお話をしますね。」
落ち着いてそう告げると、興奮気味だった女性はハッとして居住まいを正した。

「彼はあなたのお父さんと似たようなタイプに見えるかもしれません。だけど、お父さんと彼はまったく別の人間です。これについては、ご理解いただけますか?」
そう伝えると、女性はきょとんとした顔で小さく頷いた。

「そしてあなたは、彼の姿に自分のお父さんの姿を重ねて見ています。あなたはお父さんが大好きで、それ故にお父さんに自分の人生を捧げて生きてきたのではないでしょうか。あなたにとって、お父さんは常に太陽だったのです。」

女性の視線が、今ほど開いた【太陽】のカードに定まる。
「あなたをあらわすカードには【月】がでました。月は自分自身では光りません。太陽の光を反射してはじめて、その時々で姿を変えます。今のあなたは、太陽の光がなければ輝くことができない。自分自身の輝きに対して目を覆ってしまい、自分自身がどうしたいのか、自分自身はどう思っているのか、わからない状態になっているのではないですか?」

「そんなことありません! 私はお父さんも彼のことも私自身が大好きだと思ってるんで……あれ……。」

見開いた女性の両の瞳から、つつーっと涙が一筋こぼれた。

「あれ? あれ?」
女性は慌ててハンカチを取り出して涙を拭う。それでも、とめどなく涙が零れてくるようだった。

女性が静かに、零れてくる自分の涙をぬぐっている間、私は黙って静かにその姿を眺めていた。
【ソードの8】のカードの、目隠しをされた女性の目隠しの内側で零れ始めた涙。

どれほど時間が経っただろうか。
涙が落ち着いたのだろうか、女性は静かにハンカチをバッグにしまった。
「お時間になりました。」
実は終了時刻を少し過ぎていたけれど、それには触れずにそう告げると、女性はお財布を取り出した。
「有り難うございました。彼のこと、少し考えてみます。」
「また、なにかあればお越しくださいね。」

占い代金を受け取り、私は彼女の小さな背中を見送った。

【皇帝】の彼が持つ【ソードのエース】は、もしかしたら彼女をがんじがらめに縛るものを斬り払う、そんな剣なのかもしれないと思いながら。

終わり