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レイキとは何かを言語化してみた

※このnoteは、純粋にレイキについて謎を深堀りしたい人にだけお届けします。特に謎を感じていないレイキマスターの人とかは腹が立つかもしれないのでどうぞ読まないでください(^_-)-☆

レイキ、霊氣。
聞いたことありますか?

なにそれ?
と思う方も、使えます、と思った方も居ると思います。

レイキは大正時代に臼井甕男という方がひらめいた、日本式の手当て療法です。

それが何故か戦後日本からは消え、現代になってアメリカのスピリチュアルブームとともに逆輸入された。
というのがわたしのレイキの認識です。
※間違ってたらご免なさいね

今はそんな感覚はもうありませんが、昭和の時代なんとなく日本人は、自国のものは駄目で外国のものが素晴らしいみたいな感覚を持たされていたように思うので、きっと臼井式レイキもその一環として日本人から消えてしまっていたのかもしれません。


具体的には、手を当てることで癒やしのエネルギーを対象に流すことが出来る、というもの。
ただし、流すエネルギーは流す人の生体エネルギーではなく、あくまで宇宙のエネルギーを取り込んで流すのだということで、使う人は単なる通り道になるのだが、使えば使うほど流す人にもエネルギーが満ちてくるという説明を受けました。

そう、色んなことに興味津々な私は、「アチューンメント」なるものを受けてレイキも使えるようになっているわけです。

でも、教えてもらったレイキについて、どんな原理でそうなるのかがさっぱりよく分からなくて、

何故宇宙エネルギーを通せるのか。
そもそもアチューンメントとは何をしてるのか。
アチューンメントするとしないで何が変わるのか。
宇宙エネルギーとは何なのか。
てか、宇宙とはなにか。

もう、わからないことだらけ。


もちろん、それをアチューンメントしてもらった時の私はまだ眠っている子羊だったわけなので、そもそもそんな疑問すら浮かばずに、すごいすごいと無邪気に喜んでいました(笑)


でも、自分がレイキを扱えている実感はありませんでした。
どうなれば扱えている状態で、そうなるためには何が必要なのか、必要と言われるアチューンメントをしてもらっても、さっぱり体感がありません。

ちなみに私は、エネルギーヒーラーの方何人かに、あなたはエネルギーに敏感ですねと驚かれたことがある程度には、体感に気がつくタイプではあります。


そんな疑問を抱えつつ、実感がないからそれを人にしてあげたいとも思えず、年月ばかりが過ぎていきました。


そんなことも忘れ去っている日々を過ごし、ふと自分の手が他の人の手よりも常に温かい事に気が付きました。
手のひらからは、エネルギーがあふれている体感もあります。


あれ?
これがレイキなのか?


アチューンメントをしてもらった時の私にはなくて、いまの私にはあるもの。
それが、私がレイキを体感できている理由だなと思いました。



さて。
レイキを使えるあなたは、アチューンメントをしてもらった瞬間からそれを体感できていたのでしょうか。
ならきっと、当時の私には無かったものが、あなたにはあるのだと思います。


まず、レイキの正体について把握しないことには、話は進みません。
色んな方が色んな理解をしているとおもいますが、私の理解をここに書いてみたいと思います。

私が思う
レイキ=宇宙エネルギーとは、
物質ではない魂世界のエネルギーである。

言語化の精一杯ですが、もっとわかりやすく言えば、

人は何故息を止めると死ぬのか。
人は何故ずっと眠らないと死ぬのか。

つまり、呼吸と睡眠で補給しているもの=臼井さんが宇宙エネルギーと呼んだもの

で、しかしレイキを通せば息が止められるのかというとそうはならず、呼吸と睡眠が得る濃度は、レイキで得る濃度の比ではなくて、どちらかといえばレイキがしているのは呼吸や睡眠のサポートではないか。
というのが、今のところの私がたどり着いたレイキの正体になります。

レイキを通すと人の身体なら心地よかったり温かくなったり眠くなったりしますが、その状態は物質の身体と心を修復する時の状態に近くなります。おそらく呼吸もレイキを通す前よりも深くなっていると思われます。


と、言う事で。
ここまでを整理すれば


☆レイキとは、睡眠や呼吸により維持している肉体と精神の、修復を補助するエネルギーである。


ということになりました。

(*´ω`*)はぁ、スッキリ。


宇宙エネルギーである。

とか言われてもちっとも理解できなかった私にも、呼吸や睡眠は普段自分でも体験しているものなので、これなら理解できました。


では、それをどうして第三者が他人に流せるのか。
そもそもアチューンメントとは何をしているのか。

これですが、私はレイキマスターではないので、アチューンメントが何をしているものなのかはわかりませんし、やってもらったのは身体の周りでああだこうだ手を動かしていたなぁくらいの認識でした。


そもそも臼井甕男さんは、アチューンメントなるものを誰かにしてもらったわけではない。

それに、アチューンメントさえやれば誰にでも使えます、それは集合意識の力なのですとか説明を受けましたが、それもよくわからない。


結局これは、

「私はレイキのアチューンメントを受けた!」

「これで私にもレイキが扱える!」

と強く認識することこそが、最も大切なことなのではないだろうか、という結論に至りました。


つまり、わかりやすく言えば。


(^_-)-☆思い込みの力って偉大だね☆

ってやつです。


そうなのです。
これ。

これは、何もレイキだけではなく、生きるうえで最も大切かつ最重要なことなのです!!!


なにをどう思い込むのか。

自分は、何が出来ると思いこんでいて、何ができないと思いこんでいるのか。



つまり、アチューンメントを受けた当時の私には

(;´Д`)なんも体感ないし

という、できる気がしないという思い込みがあり、いまの私にあるのは、

(*´ω`*)エネルギー、取り込める気しかしないわ

という、できる気しかしないという思い込みだったのです。


アチューンメントとは、そもそもレイキの存在を知らなかったり、やり方を知らなかった人に

アナタもやれるよ。

という思い込みを与える行為なので、それらしくモニャモニャしてればアチューンメントは成立するし、それらしいマントラやシンボルを使うことで、使えるんだと思い込ませるツールを伝授することに他ならないのでは、と思ったわけです。

※その思い込みを与える行為そのものが大事だという話ですので、営業妨害だという苦情や反論はお受けいたしません(笑)


これなら、私の長年の

アチューンメントって何をしてるの?
マントラってなんでアレなの?
シンボルってどうしてアレなの?
どんな意味と効果がどういうからくりで起きてるの?
そもそも臼井さんは誰からもアチューンメント受けてないのに出来るのはなんで?!

という疑問が一気に解決してしまいました。


ずーっと、レイキが何なのかがわからなくて、使える気がしなくて、半分忘れかけていたのですが。
数年前に、レイキが使えるとある方にお会いしてからなんとなく自分が使えている体感が少しづつ分かるようになってきました。


分からなかったときと今の、明確な違いはひとつ。
それは、私が私自身として生きるようになったから。

大事なことなので、もう一度。

レイキが使えると思えたのは、私が本来の自分自身を駄目だと思い、閉じ込めて誤魔化してなんとなく良いもののように感じる別人格になろうとしていたことをすべてスッパリと止め、本来の自分自身で在るようになったからでした。


どうですか、こんな事聞いたらめちゃくちゃ大事なことって思いませんか?

私は本来の自分自身を封印してるなんて、一欠片の自覚さえありませんでしたよ。

本来の自分と言っても、そんな大層なことではありません。

のんびり屋だった自分のことを、ノロマだと責めてオシリを叩いて生きていたとか、そんな些細な、だけどとても痛い生き方をしていたことです。

それを止めたらレイキが通りました。

なんとなく、そう考えたら当たり前な気さえします。
だってそんなの、あまりにも息も浅くなるような、あまり深く眠れないような生き方でしたものね。


レイキとは、きっと生きるために使っているエネルギー。生命エネルギー。
それに近いものなのだと思います。

そして、本来の自分として力強く生きていれば居るほど、レイキが強く通っているのだと思います。

レイキが使えるのか使えないのかは、ただそのような名前のスキルを知っているか知らないかの違いだけ。


本来はきっと誰もがそれを取り込んでいるし、優しく触れることで流しているのだと思います。
悲しくて泣いている人の背中に優しく当てられた手のひらからは、アチューンメントの有無にかかわらず、体温以上のなにかが伝わっているのだと思うのです。


結構な額を投資して学んだレイキでしたが(笑)レイキとは結局なんなのかという私の長年の疑問は、そんな結論に至りました。


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