①大切な末邑との別れ

私の父は、代々陶器屋の跡取り息子、
子供の頃は食事を料亭で取って食べさせて貰ってたらしい。


私の母は洋服屋、布団屋、呉服屋を経営してる家のお嬢様で、

私が子供の頃は沢山のミシンが並んだ部屋で縫い子さんたちが服を作っていたのを覚えている。


大学時代を熊本で過ごした二人は、出会い、(別の大学だったので出逢いのキッカケは、今では不明)22歳の若さで結婚した。

ボンボンとお嬢様の結婚、そして私が生まれた。


母の方針で私と弟はテレビ、ゲーム、を許して貰えず、本だけは、欲しいだけ与えられた。


TVを見てないので友達の話題に入っていけない。
だけど、不思議と何とも思わず成長した。


3歳からバイオリン、6歳から水泳、絵、公文をさせられていた。


その頃友達はそろばん、習字を習っている子が多く、母に本気でせがんだけどさせてもらえなかった。


バイオリンだけは先生が大好きで、中学卒業まで続けた。


高校は三重県の日生学園に入れられた。
全寮制で厳しい学校生活だったが、楽しく毎日を送った。(ダウンタウンの浜ちゃんと同じ高校)

その頃家の家業が潰れた。

弟は借金取りの相手をして、食べていけない母の為にカツアゲして、母の事を守っていた。

父は自分だけ、何処かに行っていたらしい。

そんな弟の苦労も知らず私は高校にいた。

卒業して帰ってきたら、家を引っ越ししていた。
夜逃げしたらしい。

私は美容師の見習いとして働き、お給料全てを母に渡していた。


同僚が給料出たら服を買っていたのが羨ましかったけど、不幸とは思わなかった。

6千マンの借金があるのに、母は父を自己破産させなかった。

そして両親は立ち直り、普通の生活が出来るようになった。

私は24歳で結婚し、その時には、両親と同じマンションを買った。

角部屋の2階が両親、
その上の3階が私達。
自分の両親、弟がいる結婚生活は幸せだった。


長男なのに、私の両親と一緒に暮らしてくれる夫に感謝していた。


直ぐ赤ちゃんが出来た。


夫の両親も大変喜んでくれて、無事に犬の日の御祝いも済ませた。


妊娠7ヶ月の頃、何の前触れも無く、お腹が痛くなった。


二日目に流石におかしいと思い、
産婦人科に行くと、エコーで赤ちゃんの顔がしっかり映っていて、

夫にそっくりな女の子が指をくわえていた。


先生が私の診察した時に「ヤバい!」と口にした。

座薬を入れられ、そのまま入院になった。

もし、破水したら赤ちゃんは助からない事、もし助かっても障害が残ることを説明された。

私はお腹をさすりながら、赤ちゃんに(お母さんは貴方が障害者で生まれてきたら、育てる自信がない。)とあやまった。


赤ちゃんは私の気持ちを理解したのだろう。
火曜サスペンスを見ていたら、いきなり破水した。


私は破水したら赤ちゃんは助からないと聞いていたので
パニックになて、「嫌ー!」と泣きながら叫んでいた。


その時にナースが
「お母さん落ち着いてください!」と言った。


母親になれない私に、「お母さん」と言った。


そして手術室に運ばれ、家族が呼ばれた。


夫は私の顔を見て泣いてた。
一緒に泣いた。

そして一人で病院に残され、分娩台に登って、生きて生まれて来ない赤ちゃんを生むため、痛みを耐えた。


助産婦が「死んだ赤ちゃん見ないほうがいいよ!トラウマになるから。」と言った。

私は痛みに耐えながら、生きて生まれないなら、痛みに耐える必要があるの?と怒りが湧いていた。


散々苦しんで、赤ちゃんが出てきた。
太ももに触れた赤ちゃんは、
温かくなかった。


疲れ果てた私はそのまま部屋に
戻された。


夫がたった一人で死んだ赤ちゃんを抱いてくれた。


明日火葬するからと、死んだ赤ちゃんが入った箱をナースが部屋に持ってきた。


私は怖くて箱を開けることも、箱を抱いてあげることも出来なかった。


怖くて眠れないので睡眠薬を貰った。


朝、夫と義母が来て死産届けと、赤ちゃんが入った箱を持って火葬に行った。


一応出産したので、
何日間入院してなくてはならなかったが、
元気な赤ちゃんの鳴き声が沢山聞こえて、辛かった。

ずっと泣いてた。
自分を責めた。
退院する時も睡眠薬を貰った。

次の診察のとき、先生が排卵日を教えてくれた。
(は?直ぐ赤ちゃんを作れと言うこと?)
そんな気になれなかった私は
二度とその産婦人科には行かなかった。


夫のお祖父ちゃんの法事と一緒に死んだ娘、茉由のお経も読んで貰った。


何人かの親戚が来ていて、義母は、茉由の骨を見せていた。
許せなかった。
「小さくても骨は残るんよ!」
とかほざく義母の行為が許せなかった。


茉由のお骨は夫の墓に入った。


夫の休みのたびに茉由に会いに行った。


そして、頑張ってお腹の中で生きた茉由の死体を抱いてやれなかった事を悔やんだ。


母親に拒まれてどんなに茉由は悲しい想いをしただろう。


ゆいつの救いは父親に抱かれたこと。私は夫に感謝しか無かった。


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