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世界着想デー

最初にお断りするが、世界着想デーを制定しようということである。
世界着床デーではないことをお伝えしておきたい。
着床デーはSEXerciseが市民権を得てからのお楽しみにしておこう。

人間は誰でもクリエイティブである。
子供がなぜあんなにクリエイティブなのか。
それはどんな着想であれ肯定してくれる人がいるからである。

大人はなぜ着想を言葉にしないのか。
潰されるからである。簡単にいえば。

着想というものは自分自身の心深くから湧き出るものであり、
それが否定されるということは、
巡り巡ってONORE自身を否定されたということになる。

センクスのように着想で飯を食っていこうとすれば、
その着想自体に価値を見出さなければいけない。
つまり着想自体に良し悪しという評価がついて回るということであり、
その立場に居ようとするのであれば、打たれ強さが必要になる。

組織ではどうだろうか。
上司が新しい物事に対し、否定的なスタンスを貫いていたとすれば、
あなたの意見は会社に届かず、世界を変えることもない。
あなたは何度かそれを試すかもしれないが、
しばらくして意見することをやめてしまうだろう。

人間はクリエイティブである。
こういった障壁をとっぱらってしまい、
つまり風通しの良い環境を作れたとしたら、
人々の着想で世界はMOTTO MOTTO良くなるはずである。

エイプリルフールという嘘をついて良い日があるのなら、
誰でも自由に着想をぶちまけられる日が1日くらいあっても良いのではないか。
誰の発言も尊重されるべきものであり、否定されるものではない。
ハラスメントや放送禁止用語もその日だけは目を瞑ろう。
社長も部長もその日だけは地位を忘れよう。

誰かが善として誰かが悪とするから制約ができるのである。
世界着想デーとはつまり、誰もが善と捉える日となるだろう。


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