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許容不可的不可思議隙間

本日のタイトルは中国語風にしてみた。
中国語、全くわからないが、それっぽいだろうか?

今日書きたいことは、許容しきれないスペースのことだ。
それならそれとタイトルで分かりやすく言えよと思ったあなた。
それは愚問である。

最近私の許容スペースを軽々しく超えてきた出来事が2つあった。
①隣に停めた車が近すぎる(物理的スペース)
②話すときにやたら顔が近い(パーソナルスペース)

①に関しては、単純に車をぶつけられたんじゃないかと言う心配である。
最近の駐車場は非常に整備されていて、
昔のように左右に一本線ではなく、
きちんと隣のスペースと距離が取れるように、
U字型の線が引いてあるものが多い。

アレのポジションを気にするように、
枠内で右寄り・左寄りに駐車したとしても、
枠内に入ってさえいれば一定のスペースが確保される。

先日私が目撃したお隣の車は、その枠の概念さえも超え、
まるで長年連れ添ったオシドリ夫婦のように寄り添っていた。
いや、片方は若葉マークだったので、
もしかしたら遺産目当てに結婚した年の差夫婦だったかもしれない。

若葉が付いていない車は私の車だった。
これは気が気じゃない。
ミラーとミラーがキッスしているのではないかと言うレベルの距離感。
ぶつけられていないかくまなくチェックしたのは言うまでもない。

②については、話すときに半端じゃなく顔の距離が近い人だ。
私の周りには女性3名・男性1名ほどいる。
女性の方が比較的多いように感じる。

これは文化人類学で研究がされているらしく、
関係性が親密なほどパーソナルスペースが狭くなるらしい。
エドワード・T・ホールさんは、パーソナルスペースを4分類し、
それらをさらに近接相と遠方相の2つに分類している。
興味があれば調べてみてほしい。

恋人や夫婦がドッキングするのが最も分かりやすい例だ。
ドッキングはつまりスペース0であり、最も親密な証であろう。

私はゲイでもないし、上記にあげた女性3名もムフフな関係ではない。
しかしものすごく顔が近い人がいる。
これが絶世のビショであったら、思わずキッスしてしまいそうになる。
おそらく基準的なパーソナルスペースが狭い人々なのであろう。
世の中には少なからずも一定数存在するように感じる。

物理的な距離に関しても、パーソナルスペースにしても、
許容出来ない範囲というものが存在する。
事実、車はぶつかっていないし、顔が近くてもキッスしているわけではない。
でもなぜか心がザワザワするのである。

パーソナルスペースをきちんと理解して活用することで、
相手に一定した心理的印象を与えることができるかもしれない。
PSを制するもの、ビシネスを制すである。

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