ひとかけらの希望
社会人3年目がもうすぐ終わる。
私の地獄の社会人生活。
不幸で死にたくて辛い時間が99.9%だったとしたなら幸せな時間なんて0.1%未満。
私は会社もそこにいる人間も大嫌いだった。
私になら何を言ってもいいと思ってる。
目の前にいる私を壁かなんかだと思ってて、私になら何を言っても傷つかないと思ってる。
私なら笑って許すと思ってる、そんな大阪のおっさんたちを死ぬほど嫌っている。
だが悔しいかな、おっさんたちは権力があり、
私は無力な新人社員。
3年間、何回も死にたくなって、辞めたくなって、疲れ果てて眠りにつく日々を繰り返してきた。
私には夢があった。
香港の彼氏と結婚して香港で一緒に暮らす。
ちょうど私が3年間大阪で働いたら、
一緒に暮らせる約束もしていた。
その約束があったから、どんなに苦い言葉も飲み込んで笑ってきたし、理不尽な叱責にも耐えてきた。
しかし、去年の10月。
彼がコロナで国境が閉まってる間に何の努力もしてなくて、仕事もやめててずーっと嘘をついていたことがわかった。
そして、私は彼を捨てて、ついでに3年経ったら香港に移住というこの地獄の大阪生活のゴールまで失った。
彼と別れた次の日に上司から当たり散らされた時はトイレに吐いた。
見事な地獄だった。
それでも、大阪にいることだけが私を生かす道だと信じた。
故郷の九州に帰ったら、
多分今もらってる4分の1くらいの給料でこの大阪のおっさんどもよりさらに醜悪でどうしようもない地元パワーをまとったおっさんたちにお人形さんのように手ひどく働かされる未来がはっきり見えていた。
この大阪にあるクソみたいな職場と名刺の私の名前の斜め左上に入ってる名前。
この名前を志し半ばで投げ捨てたら私にはもうあの命懸けで抜け出した地元の世界しか残らない。
そんなんだったら死んだ方がマシだと思った。
私がこの社名を投げ捨てるのは、
私がこの会社よりでかい存在になった時だと決めているからだ。
だから、何回も通勤途中にある川の中にIDカードを投げ捨てたくなった時も必死に踏みとどまってきたのだ。
3年間、そんな懲役生活のような生活をしていたら夢も希望も失う。
もともと自分が何を目指していたのかもわからなくなる。
とにかくゾンビのような状態で、この大阪にしがみつくためだけに日々朝の電車に駆け込んだ。
どんな理不尽な仕打ちにも耐えてきた。
ぼーっと電車の中で考える。
なんでこんなことしてるんだろう。
なんでだったっけ。
人事異動の希望をとる際には、私はいつも欠かさず憧れの部署の名前を書き込んだ。
その部署は、中国ビジネスを一手に引き受ける社内屈指のスパルタ部署でそこだけ社内公用語が中国語で日本人が1人もいない部署だった。
オフィスも営業のある大阪の郊外にある汚いビルではなくて、立派な大阪のど真ん中の高層ビルのワンフロアにある。
日本人が採用された実績はない。
この部署の存在があると知って、この会社に入社した。
入社した後、
「うちの部署はネイティブしか取らないから。」
と、言われて絶望した。
その日から全部諦めて、香港彼氏に縋って当てにしてそれも打ち砕かれた。
地獄の3年間の中で、
もはやかつて憧れたこの会社の正体は見えていたし、この会社が私の夢の舞台にならないことはとっくの昔に悟ってしまっていて、
希望を叶える気もないくせに毎年希望を聞いてくる会社に対して腹いせにその部署の名前を書き続けていた。
口座の中にある何百万円かの貯金額を元手に、
この会社を辞めて香港か北京に移住しようと粛々と準備を進めていた。
夢も希望も尊厳もない会社を心の底から恨んでいたのだ。
今年も人事異動の季節が来たけれど、
私は今年も地獄の営業所から動くこともできず、
地獄のパワハラ上司のカムバックもめでたく決定して清々しく会社に対して
「おー、まだ更なる地獄を見せてくれるのか。
底がしれないな!!」
と思っていて、いよいよ休職退職という物騒な四字熟語が頭の中で盆踊りを始めた時、
社用スマホが鳴った。
大体このスマホが鳴るときは、クソゴミ上司がいちゃもんをつけてくる時か、取引先からの恫喝かどちらかなのであまり幸せな気持ちになるものではないが、今回は知らない番号ということでさらにイライラした。
電話に出ると、
人事部長だった。
「お?とうとうパワハラが人事まで伝わってメンタルヘルスクリニックでも受診させてもらえるのかしら?」
と期待していたところ、
「今回の人事異動ですが残念ながらご希望には添えませんでしたが、希望されていた国際部の中国課からですね…」
とよくわからない話を始めたので、
明後日の方向の期待は吹き飛びさりしっかり話を聞いてみた。
それによると、
本配属は叶わなかったが、先方がアシスタントとしてやってみないか?という話をよこしてきたらしい。
ん????
私はその部署の人から3年前に中国人しか取らないと言われていたんですけど…。。。
とっくの昔に諦めていて、
夢も希望も失ってもはやあのムカつくパワハラ上司のキャリアを己のキャリアを犠牲にしてでも傷物にしてやることだけが生きるモチベーションと化していたどうしようもない私だが一つだけ誇れることがある。
それは、3年間ひたすら中国語の翻訳の仕事を細々続けていたことだった。
中国という国は近くて遠い。
頑張って近づこうとしても、ぬるりと逃げられる。
中国関連の仕事がしたくても日本語ができる中国人に負ける。
就活生の時一生懸命話を聞きに行った駐在員の人たちには「女性には無理でしょ」と切り捨てられた。
それでも、中国語までなくなったら私には何もなくなってしまうと思ったらやりきれなくて。
何回も手を伸ばしては打ち砕かれて、
何回も何回も絶望して、
何回も拒絶されて、
その度に本気で落ち込んできたのだ。
この会社だって、中国人しかいらない、とはっきり断られて私の夢はそこで終わったのだ。
でも、どういう風の吹き回しか日本人でヘッタクソな中国語しか話せないし書けないし読めない私のことをどうやらアシスタントとしてでも雇ってくれるそうだ。
アシスタントなので、このクソゴミ営業所の仕事は据え置きなので会社の中で私は二足の草鞋を履くことになった。
当然ながら、私のことが大っ嫌いで、私も大っ嫌いなどうしようもない上司はこの話を邪魔するだろうしわけのわからない仕事や雑用を投げてくることが予想されるが、それはもう慣れたからどうでもいい。
アシスタントだったら本配属にして欲しかった。このクソゴミ営業所から抜け出したかったな。
それで全部やり直せたらどんなに心が軽くなって幸せだっただろうか。
でも、
中国人か中国語ネイティブしかいらない、とまで言い放ったあの部署の分厚くて固くて重い扉をこじ開ける最初の風穴を開けることはなんとかできた。
この結果に対して不服と不満しかない。
クソゴミ上司との全く愉快ではない攻防と戦争はまだまだ続く。
アシスタント業務なのでどこまでやらせてもらえるかもわからないし、
クソゴミ営業所の仕事は延長線へ。
それでも、私は私の実力と忍耐と辛抱と諦めの悪さと根性で夢へのチケットの切れ端は手に入れられた、ということらしい。
会社に対する感謝はない。
会社が私にしてきた仕打ちは果てしないパワハラと精神破壊だけだ。
そんなことが罷り通る会社だけど、
この会社の中国課は一級品でレベルが高くて、
ここの中国課で働いて経験を積めば今後の長い人生を夢の中国ビジネス畑を渡り歩くことができるのだ。
散々私のことを痛めつけて苦しめてくれたこの会社から、せめてそのチケットだけはもぎ取っておさらばしたい。
私はここで生きていく。
中途半端なチケットの切れ端だけど、
この切れ端の残りのかけらも全部集めて、
絶対にこの会社で初めて日本人として中国課に入ったファーストペンギンに私はなる。
そして、経験を積んでこの会社を辞める。
それが、今の私にとってのひとかけらの希望。
今日だけはクソゴミ上司のメールを無視。
明日の朝から怒られるけど、そんなことは今はどうでもいいのである。
摩天楼に手を届かせるために、
もう少しだけここで頑張ってみたいと思う。
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