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猪木さんの言葉は四書五経に通ずる ── 語り継がれる言葉の成立過程、是れ即ちブロックチェーン也

読書はコスパ最高

読書は良いこととされる。
その効能は様々なものがあるとおもう。
一冊の本の中には、過去連綿と語り継がれてきた金言、至言の類が詰め込まれている点を特に強調したい。

アントニオ猪木さん、言わずと知れたスーパースター。
その活躍は多岐に及ぶ。
アントニオ猪木さんのことは、テレビや本、雑誌、新聞などの中でしか知らない。
アントニオ猪木さんと親しい方たちが、「猪木さん」と呼ぶようにこの記事では、親しみをこめて「猪木さん」と呼ばせていただく。

猪木さんの著書を読んでいる。
アントニオ猪木自伝(新潮文庫)』、『最後の闘魂(プレジデント社)』。
猪木さんの本を読んでいると四書五経に通じるものを感じる。

四書五経をご存知ではない方のために少し説明する。
四書五経とは、『大学』『中庸』『論語』『孟子』の四つと、『易経』『書経』『詩経』『春秋』『礼記』の五つの書物をあわせたものを指す。
中国の古典のことである。
『學問のすゝめ』を著し、慶應義塾を創設されたた福沢諭吉先生は、『春秋』を熟読していたそうであり、江戸時代の儒者佐藤一斎先生が著した『言志四録』は西郷隆盛先生に読まれ、さらに大西郷は『西郷南洲手抄言志録』の形で抜書きをしている。
幕末長州藩に大きな影響を及ぼした吉田松陰先生は、獄中で『孟子』を講義し、その講義を『講猛余話』という書物を残されている。
次に一万円札の肖像となる渋沢栄一先生は『論語と算盤』という著作を残されている。
と、さも物知り顔で書いているが、私の浅学を自ら公言していて恥ずかしくもある。
四書五経に関する私の中での知識の多くは、現代語で書かれた解説書や山岡荘八先生、司馬遼太郎先生の歴史小説の中で得たものであることを告白しておく。
私は古典の専門家ではない。

続ける。
正確な年代は他の文献に譲るとして、おそらく昭和のはじめころまでは、これらの書物は当たり前に読まれてきたものようにおもう。
本当は原典にあたるのが一番よいとおもう。原典を読むのが間違いない。
だが、だいぶ言葉が異なる。
そのため、読むのがつらい。理解ができない。そういう方も多いのではなかろうか。

そこでさまざまなジャンルの本を読むことをおススメする。
一冊の本の中には、古典のエッセンスが詰め込まれている。
というのも、本を書く人は、たくさんの本を読んでいる。
その中には直接、四書五経は入っていないかもしれないが、どこかで四書五経とつながる何らかの影響を必ず受けているのである。

別の言い方をする。
本はコストパフォーマンス(コスパ)最高なのである。
吉田松陰先生は、「読書は最も能く人を移す。畏るべきかな書や」とおっしゃられている。

猪木さんは、ご自身で本を書いたわけではないかもしれない。
アントニオ猪木自伝(新潮文庫)』、『最後の闘魂(プレジデント社)』は、まとまり過ぎている。
猪木さんの考えは、もっとスケールが大きい。
多忙な猪木さん自身が、本を書く時間はなかったとおもう。
ブックライターと呼ばれる職業の人が、猪木さんの言葉を収まりよく本の形にしたのだとおもう。
だからといって猪木さん名義の著書の価値が下がるわけではなく、『論語』は孔子が書いたわけではなく、孔先生が言ったことを弟子たちが残した言行録であるという成立過程と一致をみるのである。
むしろ価値は更に高まるとも言える。
「猪木さんは、ご自身で本を書いたわけではない」は、私の邪推にすぎず、すべて原稿は猪木さんが書いたものなのかもしれない。
私のような凡人では測れない、文章を書くことにおいても、真性の超人であったのかもしれない。

四書五経をそのまま読める素養のある人は、実際に原典をあたればよいし、そうではない人はぜひ猪木さんの本を読んでみるとよいとおもう。
この文章では、題名の都合上、いきおい「猪木さんの本」と限定しているが、本なら「本当に」何でもいいのだとおもう。

猪木さんの言葉

猪木さんの言葉と、古典、故事との関連を書く。
アントニオ猪木自伝(新潮文庫)』から言葉を引いて太字で表記し、古典や故事を後ろに続ける。
詳しい内容を知りたい方のために、さらに古典、故事については私が適当だとおもう文献へのリンクを付す。リンクがないものもある。

闘魂とは、己に打ち克つこと。そして、闘いを通じて己の魂を磨いていくことだと思います。
己に克ちて礼に復るを仁と為なす(論語)
山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し(王陽明)

迷わず行けよ行けばわかるさ
人は実行が第一である。書物の如きは心がけさへすれば、実務に服する間には、自然読み得るに至るものなり。(吉田松陰)

「人生は挑戦の連続である」誤解しないでほしいのは「猪木だから挑戦できた」わけじゃないということ。誰の人生も、大なり小なりの挑戦の結果、いまがあるということ。挑戦するのは怖いけれど、挑戦しない人生のほうがもっと怖いんだよ。
継続は力なり

「オレは世界で最強だ」という思いで突っ走ってきた。その自信の源となっていたのは、日々のたゆまぬトレーニングだった。私はプロフェッショナルとして、いついかなるときでも練習に関しては妥協したことがないと自信を持っていえる。
武士たるものは行住坐臥常に覚悟ありて油断なく如くすべしとなり(武教全書講録)

人間は、一生のあいだに何度か闘わなければならないときがある。そのときに、妥協して敗れるかのか、必死で闘った結果敗れるのかでは大きな違いがある。
木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)、金ヶ崎の退き口 で危険な殿をつとめる
ビル・ゲイツ氏の学生時代(BASICインタプリタ開発秘話

燃える闘魂
稲盛和夫氏「経営12ヶ条の8 燃える闘魂: 経営にはいかなる格闘技にもまさる激しい闘争心が必要」

元気ですかーーーーッ! 元気があればなんでもできる
志は氣の帥なり(孟子)
元気、やる気、気力そういったものがみなぎっていれば何でもできるであろう。だが時には挫けそうになるときもある。そんなときに自分を支えてくれるものは、何をこの世で成したいのかという、大いなる目的つまり志なのである。志をしっかりと立てることが必要である。猪木さんは夢を持ち、そして恐れずに一歩踏み出す実行の大切さを多く語られている。

死ぬ最後の瞬間まで、死ぬ一瞬まで輝いていたい
男児は棺を蓋はずんばみだりに評すべからざるものあるか。(吉田松陰)

この言葉通り、最後の最後までスーパースターであった。
アントニオ猪木さんのご冥福をお祈りする。

もう一度、読書がコスパ最高の例を示す。
昭和の碩学安岡正篤先生は『王陽明研究(明徳出版社)』にて「親切に我々を教ふる者はすなはち先覚であり、書籍である。我々は是非とも先覚者によって正し、書籍によって考えねばならない。先覚は我々に先んじて荊棘(いばら)多き心の路も開いて行つた人である。我々は彼によつて活きた人生の体験にふれることができる。書籍は先人が後昆のために迷妄を去って自己の真性を発揮する所以を教ふる物である。」と書かれている。
この言葉の中に猪木さんの「道」の詩(迷わず行けよ行けばわかるさ)を再び思い出す読者諸兄も多いことであろう。
猪木さんは、『アントニオ猪木自伝(新潮文庫)』の中で「道はどんなに険しくても、笑いながら歩こうぜ!」と結ばれている。

語り継がれる言葉の成立過程 ── 是れ即ちブロックチェーン也

「一冊の本の中には、過去連綿と語り継がれてきた金言、至言が詰め込まれている」と冒頭訴えた。
これは、ブロックチェーンに通じるものがあるようにおもう。
ブロックチェーンとはBitcoinを支える技術である。
最近ではWeb3の文脈で語られることも多い。
最初のBitcoinの文書の中には、ブロックチェーンという言葉はどこにもないが、それだと都合が悪いのでBitcoinを支える技術のことをブロックチェーンと呼び、様々な発展、応用、研究がなされている。

私は、福岡県飯塚市に住んでいる。現在は飯塚市となった旧庄内町で育った。
その飯塚市は2021年11月に飯塚市ブロックチェーン推進宣言を発表している。
この一環で地元の高校生、中学生にブロックチェーンを知ってもらう「ブロックチェーン授業」という活動を行っている。
その様は新聞に取り上げていただいたことがある。
飯塚高生徒がブロックチェーン学ぶ IT企業幹部が用途や仕組み伝授

ブロックチェーンとはなにかをごく簡単に、この文章の趣旨である「一冊の本の中には、過去連綿と語り継がれてきた金言、至言が詰め込まれている」と関連する部分に絞って説明をする。
オリジナルのブロックチェーンであるBitcoinをイメージして説明をする。

大雑把に言う。
ブロックが、強固で頑丈なくさり(チェーン)でつながっているから、「ブロックチェーン」なのである。

まず、ブロックチェーンの構造を説明する。
ブロックの中には、価値の移動を示す取引(トランザクション)が含まれている。Bitcoinを例にすると、AさんからBさんへコインが移動したという事実を取引と呼ぶ。この取引で不正をする人がいるかもしれないため、不正を排除する仕組みが必要となる。取引の正しさはブロックに取り込んでもらうことで正しいというお墨付きがもらえるようになる。正しい取引となる。ただしブロックを作るのには、莫大な計算をしてたった一つの正解を見つける必要がある。たいへんな労力を払ってブロックを作る人がいるのかというと、ブロックの作成に成功すると、ご褒美として新しいコインをもらえるためだ。これを報酬という。ブロックを作ることは、マイニングと呼ばれ、その行為をする人をマイナーと呼ばれる。一発当たれば宝を手にするようなものだから、金の採掘になぞらえてマイニングと呼ばれている。マイナーは不正な取引は、ブロックには含めないのである。
これがブロックチェーンのおおまなか構造である。

ブロックチェーンでもうひとつ言われるキーワードとして「分散台帳」がある。これは、ブロックチェーンネットワークに参加している人たちが、データを等しく持ち合って、中央に管理者不在で全員で正しいことを確かめ合っているさまを指す。さきほど言ったようにブロックを作るのはとても難しい。だが、一度これが答えですよと言われると確かめるのは容易にできるように設計されている。逆に言うと、確かめることが簡単にできるようになっていないと、みんなで確かめることはできない。
例えて言うと、ブロックを作ることは、複雑な方程式を解くことと似ている。方程式の解を求めることは難しいが、xの値を示されると、検算は比較的容易にできる。

ブロックチェーンについての少々わかりにくい話が続いてしまった。
話を「一冊の本の中には、過去連綿と語り継がれてきた金言、至言が詰め込まれている」との主張と、ブロックチェーンに通じるものがあることに話を戻す。

過去にはたくさんの本が書かれたこととおもう。
その多くは時とともに日の目を見なくなることは、当然であり、自然の摂理だとおもう。
四書五経等の中国の古典は、日本で長いあいだ読みつがれてきた。
いまでもそれらの解説本が出版されているし、中国の古典に影響を受けたであろう偉人たちが書き遺した書物の解説がなされている。

「金言、至言」と認められた内容、本だけが後世に語り継がれていき、つながっていくさまは、認められた取引だけが記録されていくブロックチェーンに似ているとおもう。
語り継いで行くためには言葉での記録、記憶、発信が必要だ。
長きに渡って解説本の対象となる書籍は、人々の記憶に刻まれ、永久に語り継がれる。
これはブロックチェーンの考え方と似ているものがある気がする。

良い本が後世に残り、語り継がれ、つながっていく様におけるマイナーの報酬について考えてみる。
まず解説本を書く解説者が思い浮かぶ。
解説本を書いて、その本が売れることで解説者の収入がブロックチェーンにおける報酬とみなせないことはない。
小さくみればそのような見方もできようが、これは誤っていると言いたい。
語り継がれる言葉というコンテクストにおいての「報酬」というのはそんな卑近で小さな話ではない。
人類全体の叡智の蓄積、人類全体の利益ととらえるべきだとおもう。
たしかに現世という一時的な時間尺度でみれば、解説本を書いた方の収入であることに間違いはないが、その方たちは著作を作るために膨大な古典を読み、理解しアウトプットされているのであくまでも対価、現世だけで使用できて、あの世には決して持っていけない生活費にすぎないなのだとおもう。俗世での収入の話は、ブロックチェーンにおける報酬とはまた別の次元の話だと区別したい。
現にいい加減な本は見捨てられることもはやい。
自分がいま生きている時間軸だけではなく、その100年後の人類に思いを馳せることにする。
「金言、けだし至言」の類は、人類全体の叡智の蓄積、人類全体で共に享受する報酬なのだ。

私には何の力もなく微力ではあるが、猪木さんの言葉を後世に語り継ぎたいとおもい、この文章を書いた。ブロックチェーン流にいうと、ごくごく微小ではあるが、少なくとも計算量を施した(計算をチャレンジした)ことにはなろう。
猪木さんの言葉から力をもらったものとして次代に語り継ぎ、体現するものでありたいとおもう。

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