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ゼミ日記⑤読書会「幸せになる勇気」

こんばんは!AWAYインターン生のリンカです!
台湾では賑やかだった旧正月を終え、いつも通りの日常が戻ってきました!
本記事では1月の読書会の様子と私の想いをお伝えしたいと思います!


2023年 正解がないゼミ第二回目は、岸見一郎の「幸せになる勇気」を読み、読書会を行った。以前の読書会で「嫌われる勇気」を読んだため、再び続作であるこの本を扱った。本書は、アドラー心理学の哲人と悩める青年が対話を重ねる形式でストーリーが展開されていくため、個人的にとても読み進めやすく、アドラー心理学が日常のどんな場面でどのように作用するのか理解しやすい本だと感じた。

​​「幸せになる勇気」は、アドラー心理学を知った青年が3年間教師として働く中でアドラー心理学を実践するも全く役に立たないと感じたところから始まる。青年が哲人に問いや疑問を投げかけながら、再び二人が共にアドラー心理学についての学びを深めていく。

今回の記事では、ゼミの中で行った複数のワークショップの中で私が印象的だったものを一つ取り上げたいと思う。


「人のこと褒める?」という問い


本書の中で「褒めて伸ばす」ことは否定されていた。褒められて伸びる生徒がいることは確かだが、コミュニティ内の誰かを褒めることは、「褒める」行為が一つの褒賞となり、「褒められる」状態になることを皆が求め、競争が生まれるからである。このコミュニティは、こうした競争原理に支配されていく。


人のことを褒めるかと問われ、私は最近人のことをよく褒めると言った。自分の中で人のことをよく褒めているなという実感があったのは、人生で初めてだった。一度本書から離れてみて、「褒める」ということを改めて考えてみた。





「褒める」という言葉の意味を調べると、「その人やその人が行った行為をよく評価する」と出てきた。私は台北で友達3人とシェアハウスに住んでいる。3人とも音楽活動をしていて、何でもない深夜にセッションを始めたりする。小さな共同体ではあるけど、私たちは表現することが好きだ。ある時、私ができないことで表現していて、単にそれが私の心を動かしたので、一人のことを無意識的に「すごいね」と褒めた。他の友達も賛同した。言いたくて仕方ないことを言いたくて言ったという気持ちだったので、その目的はよく評価するという意味を持つ「褒める」という言葉に集約され得ないのではないかと思ったが、彼のしたことを評価したと言えば、間違いないと思った

シェアハウスは学校でもないし、「褒めて伸ばそう」と思ってこんなことを言ったわけではないけど、、、と本書と自分との間に突っかかりが生まれていた。

後日、台湾で出会った別の友達とこの話題について話した。そこで気づいたこと、コミュニティ内において「褒める」ことには「表現」と「評価」という2つの目的があるのかもしれないということ。本書の青年も、私も、初めは無意識に生徒/友達を褒めていたのだと思う(青年は徐々に生徒の意識を高めるという目的を持って生徒を褒めたが)。でも、評価したくて言ったのか、表現したくて言ったのか、どちらの要素が大きかったのかという違いがあるかもしれないということ。

例えば、他者が来ている服を褒めたい時、表現の要素が大きいなら「その緑の服可愛いね!素敵だよ!」と伝える。一方、評価の要素が大きいなら「その緑の服、ズボンの色とマッチしててなんかいいね!」と伝えるかもしれない。話しながら、受け取り方の違いがあることにも確かに気がついた。

ここでずっと話してました笑


今回、2人以上が形成するコミュニティであること、かつ自分が他者のことを褒める立場にあることという条件の上で、「褒める」ことについて考えてみたが、褒められていない別の他者がその違いをどう受け取るかについても考えてみたいと思った。なぜなら、哲人は、いずれにしろ褒められることを求める人が集まれば「競争」が生まれると主張するから。きっと、褒める人・褒められる人同士の関係性や距離感、所属によって与える影響が大きく変化するはず。またゼミメンバーとゆっくり議論していきたい。


AWAY学生インターン・リンカ



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