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きのこ派のあまりに巧みな懐柔工作に舌を巻いた

戦後75周年。日本は平和をなんとか守れているが、新たに生まれた火種もある。それが「きのこたけのこ戦争」。日本中が2つに分かれ、メディアや技術を駆使し水面下で熾烈な勢力争いが続けられている。

今回はそんな争いに巻き込まれ、見事に策略にはまってしまった話。

たけのこの里は唯一無二である

僕は純粋なたけのこの里派だ。きのこの山は滅すべし。きのこはたけのこに勝てる訳がない。クッキーのサクサク感の横で控えめに主張するチョコの風味。2つが合わさり奏でる食感と適度な甘味のハーモニー。それに比べるときのこの山はチョコの主張が大きすぎる。たけのこの方が優れている。そう思っていた。あのときまでは。

はじめての30キロマラソン

昨年2月。僕ははじめて30kmの青梅マラソンに挑戦した。今まではハーフ(21キロ)までしか走ったことがなかったので、期待と不安が入り混じりつつもスタートラインにつく。

最初は順調だった。周りの声援を聞きながら快調に走る。マラソン大会は隣に一緒に走る人がいるだけでお祭りのような楽しい気持ちになってくる。沿道からは声援や演奏が絶え間なく聞こえ元気が湧いてくる。そういえば今までで一番うれしかった応援は1万円札の扇子を振っているおじさんの姿だった。新たな自分の一面に気づくことができるのもまたマラソンの醍醐味。

マラソン大会の楽しみの一つに「エイド」がある。コースの途中に水や食べ物が置いてあり、参加者は走りながら飲食する。普通の大会のエイドは5キロに1回とかのペースに設けられており、青梅マラソンも例外ではない。

エイドは過酷な大会の中ではオアシスのようなスポットだ。大会によってはエイドに名産品を提供してアピールするところもあるとか。脱水症状を防ぎカロリー補給をし、ときには味に舌鼓を打つ。肉体的かつ精神的にきつくなってきた後半においては特に貴重な元気をチャージできるスポットだ。

異変

21キロをすぎた。ここからは未知の領域だ。足が突然動かなくなってきた。疲れている。筋肉がつりそうになってきた。でも一番の問題は別にあった。力が出てこない。どうもカロリーが足りていない。そういえば今日の朝緊張していたので、腹の調子を壊さないように食べる量を控えめにしていた。安全策をとったつもりが裏目に出てしまったのだ。

ペースが落ちた。一気に人に抜かされる。なまはげのお面をつけた人に抜かれる。ビールの被り物をした人にも抜かれる。マリオにも抜かれた。でもそれを気にする余裕もない。きつい。ふらふらする。無事完走できるのか。不安がぐるぐる頭のなかでリフレイン。それでも一歩ずつ足を進めるしかない。

エイドにたどり着く

そんなとき、先に希望が見えた。エイドだ。しかも公式の。前の人を見るに、食べ物もあるようだ。助かった。

トレイに手を伸ばす。小さく黒いかたまりが転がっていた。まとめて手でつかむ。何だろう? よくみるとそれはきのこの里だった。

きのこ派の巧みな謀略

きのこの里。まさかの公式エイド。ここまできのこ派が潜入しているとは思わなかった。だが僕はたけのこ派だ。なぜこんな苦しい場面で好きなたけのこじゃなくきのこを食べないといけないんだ。空気を読んでほしい。でもカロリーは必要だ。仕方ない。口に入れる。

目の前に薔薇が見えた。めちゃくちゃうまい。身体に力が湧いてきた。何だこれは。3秒後、状況を頭が理解した。今身体が欲しているのはカロリー、そして水分だ。そしてきのこにはチョコがたっぷりついている。それに比べるとたけのこはどうだろう。チョコが少ないだけでなく、大部分を占めるのは水分を持っていくクッキー。

そう、このマラソン大会参加者にとっては、間違いなくきのこの山の方がたけのこの里よりもおいしい。

この事実を正確に把握し、運営委員会に取り入りエイドにきのこを設置する巧みな政治力。そのエレガントな手管に僕は白旗を上げざるを得なかった。何より身体が理解してしまっていた。たけのこよりもきのこの方が必要とされる場面があるのだと。

あれから

無事ゴールできた。結果は2時間42分。きのこのエイドがなかったら完走できていたかわからない。きのこに救われたことをもはや疑うことはできない。

あれから僕は「穏健なたけのこ派」になった。たけのこの里が一番なのはもちろんだけど、きのこの山にも良さはある。みんな違ってみんないい。あの日のきのこが教えてくれた。平和に近づくためには「相互理解」が大事なのだと。

そんなことを考えながら僕は今日もたけのこの里の袋を開ける。

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