はじめてマラソンを意識した小学生のあの日

マラソンを始めたのは社会人になってから。でも、長距離をはじめて意識したのは小学生のあの日だ。「君は長距離型だ」とつぜん先生に告げられたあのとき。


運動ができない小学生に社会権はない。小学校の体育の授業が憂鬱で仕方がなかった。見当違いの方向に飛んでいくボール。回れない鉄棒。飛べない箱。遅い足。マット運動はもってのほか。唯一まともにできるのは縄跳びだった。なんで縄跳びなのかは今でもわからん。

「自分の得意と不得意を見つけましょう」

そんな体育の日、突然先生が告げる。僕はいつものように心を殺す。頭にあるのは体育をいかに目立たずにやり過ごすか。得意ってなんだろう。運動ができない人に得意もなにもないだろう。

グラウンドに集まる。測定したのは50m走と100m走。走りか。苦手だ。タイムはいつも後ろのほう。リレーなんて雲の上の存在だ。


測ったあとは教室にゴーバック。指示に従って二つの数字を比べる。

・50mのタイム × 2
・100mのタイム

計算してみた。100mのタイムのほうが早い。

「100mのタイムのほうが早い人?」

と先生。手を挙げる。

挙がったのは2人だけだった。22人の教室で2人だけ。みんなの目線が刺さる。何が始まるんだ。思わず縮こまる。

「手を挙げた人は、長距離のほうが早い、つまり長距離のほうが得意な人です」

もしかして、運動ができない自分に可能性があるということか。心が温かくなる。もしかして、長距離なら人並みにできるのだろうか。心が熱くなる。もしかして、自分に得意な運動があるってことか!


3ヶ月後、持久走の授業が始まった。緊張しながらグラウンドを回る。スピードを上げる。追い越す。走れる! 平均的どころか上位にいけた。楽しい。これが運動のできる人が見ている世界。強烈な達成感。「ランニングは楽しい!」心に刻み込まれた。


走っていると今でもふと思い出す。運動のコンプレックスの塊だった自分に光が差したあの瞬間を。さて、今日もランニング行きますか。

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