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鍋を作るたびに思い出す 今は聴けないあの歌を

鍋が好きだ。今日も餃子鍋を作ろうと買い物に行き、ニラが飛び出した袋を片手に街を歩いたり。準備はばっちりだ。

ところで、鍋を作っていると頭に流れる音楽がある。どこか肩の力の抜ける、ユーモラスな歌詞とメロディ。

でも、その音は頭の中にしか残ってない。

もう聴くことのできない音だ。


不思議と目に留まったあの曲

時は6年前。ボカロ界は初音ミク10周年に湧いていた。ハチさんやwowakaさん、kemuさんの復活にしびれ、Omoiさんのドラムに脳が揺さぶられ、orangestarさんの休止にまた来てねと手を振った。

まあ、ようはそれだけ盛り上がっていたということだ。

さて、大物ボカロPが完成度が高くてかっこ良かったりかわいかったり余韻の残る曲をあげている中、一ついい意味で目に留まった曲があった。

それが、「鍋奉行-或いは焼肉奉行の歌-」との出会いだった。

この曲、PCの絵柄がまず粗い(もちろんいい意味でだ)。神絵師が仕上げる深みのある絵がもてはやされがちなボカロ界のなかで、アマチュアの同人作品にあるようなどこか作者の個性が見え隠れするサムネイルは、ひときわ浮いていた。

でも、それが悪いのかというと、そんなことはない。どこか力を抜いて見られる絵が、ユーモラスな歌詞と不思議とマッチしていたのだ。

なーなーななっな
なーななななななな
なーなーななっな
なーべぶぎょう♪

まるでどんな鍋の味にも絡んでしっかりと引き立ててくれる白菜のような。そんな不思議な魅力にあふれた曲とPVが誰もまねのできない世界を造り上げていたのだ。

こうして、冬になると聴きたくなる曲にこれが加わった。

しかし、数年後にまた聴こうとページを開き、思わず手が強ばった。耳に入ってきたのはあの笛の音。消されてしまっていた。

この音楽が上がっていたのはニコニコ動画だけ。つまり、もうあの曲は聴くことはできない。


でも、その曲は自分の中ではまだ息づいている。


鍋と作ると思い出す

野菜を切る。鶏肉を切り分ける。そして全部鍋に入れてコンロに着火。

沸騰したらすることがある。スプーンを構え、表面をすくい上げる。そう、アク取りだ。

鍋とかけて仏の道と説く

そんなとき、心の中の鍋奉行が歌い出すのだ。

その心は
アクをすくうこと

味見をするとどこか懐かしい香りが口に広がる。鍋は昔からの好きなメニューだ。それは6年前も変わらない。あのころも鍋を食べながらこの曲を口ずさんでいたんだった。

いいこと言うね
天下の台所

当時の鍋奉行は親だった。でも今は一人暮らしを始め、鍋を作るのは自分になり、台所の天下は自分になった。

鍋はどんなものを入れてもおいしい。その無限の包容力。箸が進みに進む、気づいたら炊いた1合が空になっている。そして箸を置きながら思うのだ。

神様
仏様
鍋奉行

と。


また聴きたい

曲というのは、環境が変われば聴いたときの感じ方も変わっていくものだ。だからこそ、またあの曲が聴きたい。

そういえば、この曲は鍋奉行だけじゃない。2番は焼肉奉行がテーマになるのだ。でも、脳内を検索しても歌詞が出てこない。今2番を聴いたらどんなことを感じるんだろう。

そんなことを考えながらニラを切り、もやしの袋と餃子を用意し、鍋にバラバラと突っ込んで火をかけるとあっという間に鍋ができた。

次の冬もきっと鍋を食べているのだろう、そしてその頭には、鍋奉行の歌が流れているに違いない。

来年も「アクをすくう」のが楽しみだ。

おいしかったです。神様仏様鍋奉行!

※歌詞はうろ覚えなので間違っていたらごめんなさい。

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