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長年の謎、シュタイナーがじゃがいもNGといった訳、考察

シュタイナーの世界観は、とても腑に落ちる部分と、何を言っているのかよくわからない部分が入り混じっており、自分なりに消化できていないことについては保留にするようにしてきた。
シュタイナーに限らず、過去の偉人の残した文献および、その弟子とされる人々の集い、が現代もたくさんあるけれども、果たしてそこで、元祖の存在が伝えたかったことがちゃんと歪まず伝えられていることはどのくらいあるんだろうか?とも、いつも思っている。

ネイティブインディアンだったっけ、きちんと伝承されるということは、必ずその時代時代に応じて、アレンジが入るはずで、古い時代に行われていた物理的あれこれが、頑なに変化せず繰り返されれば伝承されたとは言わない、という話があった。そういうことを、シュタイナー理論においてもとても思う。息子が少し通っていたシュタイナー幼稚園では、日本のわらべ歌なんかをうまく取り入れてやっていた記憶があるけれど、そんな感じでドグマにとらわれないとはどういうことだろう、と。

で、長年謎だったこの「ジャガイモ」の話。シュタイナーを少しでも知っている人は、彼がじゃがいもは食べるな、と言っていたということは知っているはず。しかし、真に受けて食べていない人はほとんどいないのではないか、、シュタイナーが食べてはいけないと言っていたジャガイモの品種は、現代食べているものとと異なっているという説すらあるくらいだ。

しかし、わたしは、シュタイナーが何を言おうとしていたのか、なんとなく理解したので、そのことを少しメモとして残しておきたい。

シュタイナー自身、東洋人ではない、ということはまず、とても大きな体質の違い、だと思う。彼は自身の著作や公演で、白人、黒人、黄色人種が持つ厳然とした体質気質の違い、について語っている。髪や瞳が黒い人々は、良くも悪くも食べ物の影響を強く受ける民族で、金髪碧眼な人々は、精神性が強く、食べ物の影響を受けにくく、地球上で絶滅しかかっており、このことがあまりよろしくない、みたいな風に書いてあった箇所もあった。

この、金髪碧眼な人々が「精神性が強い」という表現、これがとても誤解を招きやすい、とわたしは思う。

もっとニュートラルな表現をするならば、良くも悪くもエゴがしっかりと強い人々、と言った方が的確だろう。

この、エゴがしっかりと強い人々は、肉食をする際に、肉に残留している思念に影響されにくく、えいやとその思念をねじふせ、自分の意志に従えたタンパクへ組み替える力がとても強い、ということだと思う。腸が短く、長年肉食をやってきた人々は、肉を常食することで、その残留思念のようなものにのっとられて自分がからっぽになるということはないのだ。

対して、日本人のように腸が長く、魚介類は食べてきたものの、獣肉を常食はしてこなかった民族は、肉を食べると強く、かれらの思念に影響されて負けてしまう、そういうことだと思う。

このことは、占星術におけるインナープラネット(月、水星、金星、火星、木星)の働きが、タンパク形成の物語そのものだ、という話にも絡んでくる。その人がどのように、自身のインナープラネットを生きるか、ということは、その人がどのように、自身のたんぱく質を製造するかということ。借りてきたたんぱく質にあやかることに慣れすぎてしまうと、霊的な自分がどんどん脆くなってしまう。その究極形態が共食いということ。
(このことは過去記事でいろいろ書いたので良かったら検索してみてください)。そして、このたんぱくを自身でつくる人たちは、炭水化物を自身のエネルギー源として、しっかり利用することが上手い人たちとも言える。

対して、炭水化物を食べないダイエットが流行るのは、自身の物語を紡がず剽窃する方が楽だ、という体質が板についた人たちなのだ。このひとたちは、一生剽窃ベースで生きる方が向いている。そして、その剽窃しすぎかどうか、の調整が難しくなった場合は、そのあふれる力で、利他的に行動すれば良い。心身を動かして、他者へ奉仕する。そのことで、剽窃をチャラにできる。そういう人たちとも言える。

で、ジャガイモの話に戻ろう。
結局、シュタイナーがジャガイモNGと言っている理由は、片栗粉などがNGというのとほとんど同じ理由で、このでんぷんが、ある種の体質の人々にとっては、体内で扱いきれずに脳で過発酵してしまい、ある種悪酔いする、ということのようだ。

お酒でも、白米でつくったものは、しつこく悪酔いする、と言われたりするけれど、たぶんメカニズムは同じ。

味噌や醤油、甘酒(麹でつくったものね。酒粕でなく)の発酵と、酒までいってしまった状態の発酵は、その質が異なる。
わたしは一時酒のキャンペーンの仕事をバイトでやっていたことがあるのだが、米や麦を精米しまくって、その芯だけで醸造したものを褒めたたえた商品があった。だがそれは、マクロビオティック的な発想から見た場合、ほとんど大事なところが棄てられて、残りかすになっていると見えてしまう。炭水化物は特に、精白するとNGという理由と、このあたりの過発酵の話はかなり密接だと思っている。

過発酵したものは、摂取したときに、基本的にその人をのっとってしまう。しかし、酒の力を借りないと、自身のエゴの檻から解放される術を知らない人にとって、酒は大切なツール、、ほんとうは、このひとたちは、同じ象意である海王星の、スピリチュアル的、アート的、神聖な領域を、しらふで扱う練習をしなければならないのだが、世の多くの人は、酒で代替してしまっている。。

この、精白した炭水化物が体内で過発酵して悪影響を及ぼす、というのは、ベジタリアンであったり、酒をあまり飲まない人にはおこりにくい現象かもしれない。巷で言われているが、ベジにはあてはまらないという現象は様々あり、たとえば、にんにくの悪臭にしたって、たんぱく質と食べ合わせない限りあの凄まじい体臭にはならない。

Photo by Jan Antonin Kolar on Unsplash

じゃがいもを主食にしている民族は世界に結構存在していて、アンデスの人々はいわゆる凍み芋(チューニョ)を食べる。そのほか、ベラルーシ、ウクライナ、ポーランド、カザフスタン、ロシア、アイルランドでも消費量が多いようだ(参考サイト:https://kitchen-tips.jp/24446

ピアニストのフジコ・ヘミングさんはベジタリアンでもあるが、じゃがいもが主食らしい。あと、歌手のaikoさんもじゃがいもが好きだという話をみかけた。他にもじゃがいも好きな人はたくさんいらっしゃるように思う。

そして、炭水化物をほとんど食べずに生きている人もまたたくさんいる。米を買ってもまったく減らない、という人がいる。

何が言いたいかというと、たんぱくをたくさん摂取して生きる人たちにとってのタブーと、プラントベースな人たちにとってのタブーはいろいろと違うということだ。シュタイナーは明確にそこまで言及していないが、それは彼自身がベジタリアンではないため、ベジな人たちのメカニズムが体感としてわからないのだと思う。

このいろんな意味で重力がきつい現世で生きるには、ベジでない方が世渡りしやすい。だけど、人は世渡りをうまくやるために生まれてきたわけでもない。そういうテーマを重要視するひとたちだけに浮かび上がる真実というものがあるとわたしは思っている。

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