お盆を迎えて思うこと
自分と向き合うためにはじめた「note」ですが、Makuakeの鎮魂の花火は活動報告が必要だったり、六十六発の花火の様子はFacebookでライブ配信したりと・・・。なんだか自分で自分の首をしめているのではないかと思ったり(笑)
今までコツコツとしてきたことが、いまの自分の現状で、以前の私はスピリチュアルにも関心があったり、自分探しをした時期もありましたが、いまは信仰心すらもうそんなの関係ねぇ状態となっています(笑)。
子ども達が独立してからはわたしの両親と実家で暮らしていました。わたしの母は88歳、父は三年前に89歳で他界しました。母は以前はある宗教を信仰していましたが、いまはしていません。その代わりご先祖様の供養はわたしの目から見ると熱心にうつります。ご先祖様の供養と言っても、わたしの祖父、祖母でお墓を建てたのは長男の父です。
わたしは母のしていることを身近にみてきたのですが、お城をはじめ戦国時代の史跡めぐりを楽しむようになり、主人のルーツを調べているうちに天誅組の変にたどり着き、真田氏をはじめ幕末の高杉晋作さんにはまるという支離滅裂な(?)ライフワークを楽しんでいると、いま世を騒がしている新興宗教も含めて拒否反応を示すようになりました。戦国武将の織田信長が比叡山をことごとく焼き尽くしたなどという、歴史にも疑問を抱くようになりました。我が国は徳川家康の時代の仏教(儒学)の時代を経て明治維新を迎えました。
真田ゆかりの地九度山町は高野山の麓にある所以から、高野山も比叡山と同じくよいイメージを抱いていませんでした。戦国武将が眠る霊峰でもありますから自然と関心が湧きますが、開基の空海さんには全く興味がありませんでした。
司馬遼太郎さんが「無人島に1冊もっていくなら歎異抄」と言ったとされる歎異抄は鎌倉時代後期に書かれた日本の仏教書で、作者は親鸞に師事した河和田の唯円とされています。 書名は、親鸞滅後に浄土真宗の教団内に湧き上がった親鸞の真信に違う異義・異端を嘆いたものです。これをきっかけに、一遍上人の本も読んでみました。わが屍は野に捨てよ―一遍遊行 (新潮文庫) 文庫 – 2005/1/1
生き仏として崇められるほどになった一遍上人ですが、自身はなお自分の寺を持たず、諸国を遊行し続けました。最低限必要な物だけを持ち、歩き、念仏を唱え、踊り、念仏札を配る、遊行の日々。「遊行上人」ともいわれ、「捨聖(すてひじり)」ともいわれた一遍上人は生涯、歩き続けました。
死に臨んで、一遍上人は「一代聖教みな尽きて、南無阿弥陀仏になりはてぬ」と言い、一遍上人は手元にある経典の一部を書写山の僧に託して奉納し、残りは焼き捨て亡骸は「野に捨てて獣に施すべし」と言い残しこの世を去りました。
自分の寺を持たなかった一遍上人ですが、死後は一遍上人の教えを受けた人たちが各地で寺を建て、教団を組織化していきます。空海さんしかり、いつの世も言い残したことを忠実に守らず悪い言い方で言えば、意に沿わない行いをしているともとれるのです。
尊敬する木下浩良氏(高野山大学総合学術機構 元課長)の高野山の歴史と文化-弘法大師信仰の諸相-を読んでわたしが長年感じていたことを代弁してくれているような内容で少しほっとしました。わたしのお墓の前で泣かないでくださいという歌が流行ったことも書かれています。
先祖供養は人に強制されてやるものではないし、生あるものは必ず死ぬのですから、その儀式である葬式や以後の供養もやりたいようにさせて欲しいと願います。父が亡くなったときも最低の葬儀屋でした。以前からずっと感じてきた違和感から母が他界したときは、そして自分が死んだときは・・・終活ではありませんが、刷り込まれた習慣をそのままやりたくはないので、生きているうちに方向性を決めておかねばと思う今日この頃です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?