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ムスメが不登校になった 1

休み明けの時期になると、
テレビやメディアで不登校について特集されるようになります。
とくに夏休み明けが多いでしょうか。

行きたくないときは、無理をしなくていいよ、という
メッセージ。

10年前くらいまでは
そういう発信は、あまりなかったように思います。

苦しんでいる子どもたち、親御さんたちにとっては
心が救われるようなメッセージと思います。

ただ、それでも不安に苛まれることがあるかと思います。
お子さんご自身もさることながら、親御さんを含め、周りの方も。

わたしも、そんな不安の中を、必死にジタバタした経験があり、
8年前を思い出しながら書いてみます。

そして、ひとりでも多くの方に伝えたい。

「それでいい、大丈夫だよ」と。

ーーー

いま、ムスメはカナダの大学4年生です。
一人暮らしをして(シェアハウス)、学校に元気に通っています。

ですが、学校に行かなくなったことがありました。
日本の学校に通ったのは、中2の1学期まで。
いわゆる、「不登校」です。

ーーー

8年前、うちのムスメは、中学2年の9月1日から
通っていた中学校に通うことをやめました。

始業式の朝、
突然、学校へ行きたくないと言いました。

不登校の予兆は、ほぼありませんでした。
​いや、親であるわたしが気づかなかっただけなのか。

わたしは、ムスメにききました。
「しばらく休んだら、学校行きたい?
 それとも、もうずっと学校行きたくない?」

ムスメは
「もう学校には行きたくない」
と答えました。

わたしは、一瞬、戸惑いました。

こういうときは、無理に行かせたほうがいいのか?
それとも、ムスメの意向を汲んだほうがいいのか?

ほんの一瞬、迷って、ムスメの顔を見ました。

その顔は青白く、唇は震えていました。

「このまま学校に行かせると、
 この子は明日死んでしまうかもしれない」

わたしは、腹を決めました。
そしてムスメに言いました。

「よっしゃ!
 おかあさんが、今から学校に電話するわ」

9月1日の朝、
ムスメは、始業式に行きませんでした。

わたしは、勤め先の会社に連絡をして
急用ができたので、お休みさせてほしいと言いました。

その日の午後、
わたしはムスメと一緒に中学校へ行きました。

車が中学校に近づくにつれ、
助手席のムスメは、ちいさく震えだしました。

中学校の制服を来た子どもたちが通るたびに
ぐっと頭を下に下げて、
自分の視界に入らないようにしていました。

駐車場に着くと、わたしはムスメに聞きました。
「どうする?一緒に行く?
 車にいてもいいよ」

「おかあさんと一緒に行く。」

学校では、学年主任の先生と、担任の先生が
わたしたち二人を迎えてくださいました。

案内されたのは、職員室の隣りにある、
ねずみ色のスチールラックが並ぶ部屋。

扉の上半分はガラス、下半分はスチールの板。
ラックには、ぎゅうぎゅうに本や資料がしまわれていました。

紙のほこりっぽい匂いがしました。

真ん中には、長机を2つくっつけて並べ、
テーブルのように置かれていました。

先生は、お茶をその長机に置きつつ、
わたしたちに席をすすめてくださいました。

挨拶など、軽く2、3言葉を交わしましたが
何を話したのかは覚えていません。

ムスメは、ずっと下を向いていました。

わたしは先生に言いました。

「先生、この子は今朝、学校に行きたくないと言いました。
 わたしは、この子の言うように
 しばらく学校をお休みさせようと思います。

 先生、お願いです。
 ムスメが行きたいと言うまで
 そっとしておいていただけませんか。
 連絡も電話も、しないでくださいませんか。

 ムスメが行きたいと行ったら
 必ず、こちらからご連絡します」

先生は驚いたように、ムスメに
「◯◯、いいのか?それで」
とおっしゃったと思います。

ムスメは「はい」と言いました。

先生からは、
学校へ行かない理由をいろいろ聞かれたり、
学校へ通うための他の方法も
いくつか提示してくださいました。

ムスメはほとんど話しませんでした。

わたしは、
彼女が学校へ行かない理由が
わかりませんでした。

が、言葉で発する論理的な理由はなくとも、
学校という空間に対する
「拒絶感」と「不信感」を
ムスメから十分すぎるほど感じ取ることができたので、

わたしは、
もう学校には行きません、
行きたくなったらこちらから連絡します、と繰り返し伝え、

紙のほこりっぽいそのお部屋を後にしました。

車に乗り、帰路につくムスメの顔に
ほんの少しだけ、血の気が戻ってきました。

まるで、今までずっと息を止めていて、
再び呼吸を始めたように。

「ああ、ムスメを救うことができた」
と思いました。

学校に行かせた方が良かったかも。。。
と迷いがなかったわけではありません。

中学校へ通わないと、志望高校への進学はもう望めません。

実はこの春、憧れの高校の校門前で写真を撮ったところです。
その写真は学習机に飾ってありました。

彼女は、あの制服を着て、あの門をくぐることは
もう叶わない。
それを思うと、心がきゅっと切なくなりました。

ただ、この9月1日の行動で
わたしが自分でもよくできたなあ、と
振り返って思うことは、

「学校に行かせなかった」ことではなく、

「ムスメに寄り添えた」ことです。

向かいあう、ではなく、
寄り添う。

ムスメが立つところに歩み寄り、
ムスメが見ようとする方向を、一緒に見ようとする、
これが、寄り添うということだと、思いました。

ムスメの「学校に行きたくない」という
その言葉に寄り添えることができました。

その言葉の理由を、理解はできなくても、
受容し、寄り添うことはできます。

そして、先のことなど考えず、

いま目の前のムスメを見つめていると
本当に大事なことは何なのかが、
ひとつ、わかったような気がします。

わたしが親としてするべき事は、

ムスメが、明日、息をして生きていられること。

明日生きようと思える環境をつくること。

ーーー

そして同時に、この1日は
わたしが親としてどうなのか?を
天に試されている思いでもありました。

親としての不安や心配がもやもやと湧き上がる中、

わたしの言動・行動は、
親としての不安を打ち消すためのエゴなのか?
はたまた
ムスメに寄り添う思いやりなのか?

わたしがひとこと、ひとことを発するたびに、
「これは、、、わたしはどっちの意図で言ってるんだろう?」と

頭も心もフル回転、必死だったことを覚えています。

ーーー

あなたに伝えたい。

あなたの大事な人が、
学校に行かないと選択しても、大丈夫です。

まずは、苦しいその気持ちに、寄り添ってあげてください。
理解はずっとあとでいい。
永遠に理解できなくてもいい。
それよりも、そばにいて、心の声を聞いてあげてほしい。

人生において一番大事なことは、

夜、ベッドに入った時、

おふとん、気持ちいいなあ、とか
今日のごはん、おいしかったなあ、とか

安堵に包まれながら眠りに落ちること。

今、この瞬間を、健やかに生きること。

人生とは、そんな瞬間を
薄紙を重ねるかのごとく、
無数に繰り返していくことじゃないでしょうか。

学校は、長い長い人生のなかの
選択肢のほんの1つに過ぎません。

世の中というのは、子供のみならず
大人も知らないような
すばらしい選択肢に溢れていることに、

いつか、気づくはずです。

ーーー

とはいえ、この当時のわたしは
そんなことを思える余裕もなく、

ひとときの安堵と同時に、
これからどうするかな。。。という不安も押し寄せる、

長い長い9月1日が過ぎていくのでありました。

つづく。

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