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東京→横浜 タクシーにて

私は東京の大学に通っていた。

だから、大人になる間際のモラトリアムとセンチメンタルは、大抵山手線のどこかにしまってある。

多くを話して何も生み出さない池袋の飲み会、あの人を待って朝まで過ごした新宿、あいつと別れて何の用も無くなった駒込…。

東京には、スタンプラリーのように悲しい記憶が刻まれていく。東京が悲しい記憶で埋め尽くされたら、いつか、東京のどこを歩くにも気が滅入ってしまう気がして、この歳になると思い出を作ることに臆病になる。

それでも今のところ、私は東京という街を愛している。目的もなく新橋と有楽町の間を澄ました顔で散歩するのが好きだし、東京駅の広場で傘もささずにビル群を眺めたり、新宿2丁目で知らないおじさんとジュリーを歌ったりするのも好きだ。

私はきっと、人々がそこで生活をしていくことによってつくられる素朴で暖かい小さな町よりも、人工的で一時的な、コントラストの激しくて演出掛かった場所が好きなのだと思う。それはまだ私が若いからだろうか。もう少し歳を取れば、田舎の掲示板に貼ってあるフォントがバラバラのチラシを見ても不安にならなくなるのだろうか。まだわからない。

私は生まれも育ちも横浜だ。

横浜出身だと言うと「横浜出身の人は神奈川出身とは言わないよね〜」なんてからかわれてしまうのだが、私は何の疑いもなく横浜市と神奈川県は別物だと思っている。横浜で生まれ育った私は横浜以外の市のことなんてほんとうに何も知らないのだ。最近海老名市という場所を認識したくらいで、あとの市については本当に解らない。なんて嫌な奴なんだろう。だから横浜市民は嫌われるのだ。そう思うくらい、私は物心ついたときから自分の出生地に満足していた。

私の本籍は横浜市中区の本牧というところで、横浜と言って多くの人が想像するような、山下公園や中華街のエリアから15分ほど歩いた辺りにある。少し移動すれば周りはいつも観光客で溢れかえっているのに、この本牧というエリアだけは駅がないゆえに陸の孤島のようになっていて、「本牧」と調べればサジェストに「ゴーストタウン」と出てきてしまうくらい閑散としているのだ。

しかし、私は物心ついたときから本牧は特別な場所だと知っていた。本牧は昔から米軍基地のある街として有名で、そこらじゅうにアメリカの香りが漂っている。

大きなネオンの看板のハンバーガーショップ。ライブハウスやレストランバー。カフェが併設されたアメ車パーツの販売店の店先にはグロテスクなネズミの人形が立っていて、いつも母に手を引かれ、目をつぶって泣きながらその前を通った。

海は目と鼻の先で、港には赤や青に塗られたコンテナの山がいくつも積まれていた。大きな積み木みたいで、毎日見ている光景なのに、飽きることはなかった。

おじいちゃんが運転する車の後部座席の窓を開けると潮風で胸いっぱいに入ってきて、私は子供ながらに、ここで暮らせているのはラッキーだと思った。

都会じゃないけど田舎でもない。素朴でも派手でもない、特別な場所が点々と用意されている。たぶん、イイ感じってこういうことなのね、って。

小学校に上がるのと同時に本牧から少し離れた場所に引っ越したので、私の青春にはアメ車もジャズも立ち入ってはこなかった。

けれど、あのまま本牧に住んでいたら、もしかしたら東京に出ていくこともないまま、最高にイヤなハマっ子になっていたかもなんて思う。米軍基地の男の子と夜な夜なクラブで弾けるようなホットな世界線もありえたのかも。そう考えると歯痒い気持ちになる。

私にとって横浜は、今も昔も日常の場所だ。東京でわけがわからなくなるまで遊んでも、満身創痍の恋をしても、タクシーに乗って高速道路から横浜の港が見えてくれば、よそ行きの服をそっと脱がしてくれるように街が迎え入れてくれる。パジャマでも決してボロ着なんかじゃない、横浜は私の上等なネグリジェなのだ。だから私は友人に泊まっていきなよ、と言われても血眼で横浜に帰る。

これからも、横浜にスタンプラリーを作ることはきっとないだろう。私はいつも、この街を安心して眠れる場所にしておきたい。それと、東京からタクシーで帰るととんでもない料金になるので金輪際終電は逃さない。

後ろから改造車の爆音が近づいてくる。横浜が近い。

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