279-280 風の便り

279. 風の便り

先ほどから、みゃあみゃあと猫が鳴き続けている声が聞こえてくる。明け方からその声は聞こえていた気がする。珍しいな、どうしたのかなと思ってバルコニーから声がする方に目を凝らすと、思ったよりずっと近く、隣の家の1階の屋根の上に薄茶色の猫が丸まっていた。透き通った青い目でこちらを見て、口を開き、みゃあみゃあと鳴き続ける。話しかけると返して来るが、動く気配はない。おそらくは普段ふんわりとしているであろう毛なみが、水気を含んでいるように見える。少し前に名前のようなものを呼ぶ女性の声が聞こえた。中庭に向かって呼びかけているので猫を呼んでいるのだろうけれど、名前であろう部分はカタカナにすることさえできないほどに聞き取ることができない。オランダの人は猫にどんな名前をつけるのだろうか。その人が探していたのは、そこにいる青い目の猫だろうか。

昨晩、寝室の窓に引いた薄いカーテンの向こうに眩しい灯りが見えた。満月だった。しかし昼間私は、なぜか昨日が新月だとばかり勘違いしていた。満ちた月が、欠けていく。色々なものを手放していく。この二週間はそんな時間だったと感じていた。今実際には月は満ち、明るい光で夜中の空を見守っている。手放したと思っている中で、大切なものを手に入れた時間だったのかもしれない。

鳴き続ける猫が気になってもう一度バルコニーに出た。猫を呼ぶ女性の声も聞こえる。あの猫を呼んでいるのだろう。猫も女性の方を向き、みゃあみゃあと声を上げるが、そちらの方に向かう気配はない。何かを主張するように、身体全体から声を出しているように見える。そしてゆっくりと歩き出し、ガーデンハウスの上を呼びかける女性がいるのとは逆の方向に歩いていった。

パソコンの前に戻り、メールを開くと、一通のお便りが届いていた。昨日発行したニュースレターが誰かの心に届いたのだろうか。自分が出す風のたよりと同じように、誰かが、誰に向けてでもなく風のたよりを送りたくなったときに書いてもらえるようにとつけているリンクを辿って、言葉を綴ってくれたのだろう。大切な人に宛てた言葉。一言一言を読み、その向こうにある、見知らぬ人の生きる時間、その人の先にいる人の過ごした時間を想像する。

言葉は世界だ。どんな短い言葉にも、どんな一言にも、その人の生きてきた時間が、人生が織り込まれている。重ねられた言葉を読み、そこにある宇宙に途方に暮れる。そこにある美しさと脆さに胸が苦しくなる。この世界は、誰かが誰かに届けたかった言葉でいっぱいなのかもしれない。届けたかった言葉への返事は、いつも、少し遅れてやってくる。ときには気が遠くなるほどの時間の後ろからやってくる。

贈られた言葉が、こうしてまた新しい世界を見せてくれている。

先ほどの猫がまたみゃあみゃあと大きな声を上げながらガーデンハウスの上を戻ってきた。よく見ると、おなかが少し膨らんでいるようにも見える。

小さな世界を味わうこと。言葉と言葉にならないものに向き合うこと。今日もそんな瞬間を積み重ねていければと思っている。2019.8.16 Fri 10:22 Den Haag

280. 食の更新

階下の屋根に溜まった水にポンポンと丸い波紋が広がっている様子を見て雨が降っていることに気づいた。窓を開けると、雨の音が聞こえてくるが、それは静けさの音でもある。どんなに静かな場所でも、自分の心の中が静かでなければそこは騒がしい場所になり、音を聞いて心が静かになるのであればそこは静かな場所になることに気づく。

今日はゆっくりとエンジンがかかった一日だったが、やろうと思っていたことに手をつけることができた。外側に答えを求めるのではなく、自分の内側にある大切なものを探したような一日だった。そんな中湧いてきたのは「習慣のアップデート」という言葉だった。朝のヨガ、白湯、日記を書くこと、食の実践、できるだけ心静かな時間を過ごすことなど、自分を整え、心を耕すために取り組みはじめ続いていることはいくつかある。そのおかげで以前に比べると感覚や思考の状態も良く、人に届けるものの質も上がっているのではないかと思う。暮らしとしては、無理がなく心地いい。しかし、今の心地良さの中にずっといることが満足かというとそうではない。何かを手に入れたいわけでも、何かを達成したいわけでもないが、自分の中の与えられた使命のようなものが、もっと力を発揮したいと言っている。これまでもらってきた贈りものをこれからの世界に届けていくのに、時間はどれだけあっても十分ではないだろう。何かを急いでやろうとしているわけでもないが、とにかく心と体は今、もう一回り更新されることを望んでいる。その先に、さらなる人の心との出会いがあり、それが自分自身の心の喜びになることを知っているのだろう。

そんなことを強く意識してではないが、今日は少し食にこれまでと違うものを取り入れた。豆腐にかけていた胡麻がなくなったので代わりに以前から気になっていたヘンプシードを買い、それをまずは、ピーナツクリームを塗ったバナナにかけた。スーパープードを使ったレシピを調べたときに見つけた食べ方だ。ピーナツクリームは甘みも塩みもつけられていないものだが、バナナと一緒になると、バナナの甘みが引き立てられ、濃厚なデザートを食べているようだった。美味しいが、バナナにカカオニブを混ぜて豆乳をかけたものも気に入っているので、1日おきに順番に食べるくらいがいいかもしれない。以前、フィリピンに行ったときに食べた焼きバナナが美味しかったことを思い出す。バナナにピーナツクリームを塗りヘンプシードをまぶした状態で少し焼いても美味しいかもしれない。今日分かったのは、私にとって食の実践は「飽きないように工夫をする」ということがポイントになりそうだということだ。もう一つ、美味しいと思えることも重要だろう。水でふやかして小麦若葉のパウダーか、蜂蜜とリンゴ酢を混ぜて飲んでいるチアシードは、これまですごく美味しく感じるというわけではなかったので、今日はアーモンドミルクに浸して飲んでみることにした。牛乳よりも成分が濃く見えるアーモンドミルクをチアシードが吸うのだろうかと思ったが、意外と水分を吸ってふやけているようだった。口にすると、まったりとした味わいがするが、それまで飲んでいたものに比べて美味しいかと言うとそうでもない。そこでヨーグルトと蜂蜜をまぜると程よい酸味と甘みが加わり、女性受けするカフェのドリンクのような味わいになった。美味しくて一気に飲んだが、その直後、体が急激に冷えるのを感じた。混ぜたヨーグルトが冷えていた上に、アーモンドミルクを含んだチアシードは粘度高く、一気に摂りこんだことで体を冷やしてしまったのだろうか。これから気温が下がっていく中で、飲み物をどんな温度でどんなスピードで取り込むかということにも注意が必要だろう。体内の脂肪が減っているので、体が冷えやすくなっているということはここ1ヶ月ほど自覚がある。身体の感覚が鈍くなるほどの脂肪はなくていいが、適切なあたたかさを保つための脂肪をつけることを意識してもいいかもしれない。

その後、夕食には、いつも食べているレタスと豆腐をあたためて生姜とごま油、醤油をかけたものに早速胡麻代わりにヘンプシードをかけた。ヘンプシードは特徴のある味があるというわけではない。必須アミノ酸やミネラル分、オメガ6とオメガ3も一日の適量を確認する必要がありそうだ。そして、今日はそれに加えてビーツとじゃがいもを食べた。ビーツは、「食べる輸血」と言われるほど鉄分などを多く含み、血液の流れを良くするという情報を見ておそらく鉄分不足気味の私にはいいのではないかと思い、じゃがいもは、いつも食べているさつまいもとは違う味わいを試してみようと思ったものだった。ビーツは、皮をむいてスライスしただけでも、十分に自然な甘い味わいがあり、硬めの食感も、普段食べているものの中にはあまりないものなので定期的に摂るのにいいような気がした。じゃがいもも電子レンジで蒸し、ギーというバターのようなものと塩をかけただけだが、その味わいに、なぜ今までじゃがいもをこうやって食べなかったんだろうと、後悔さえ感じた。味や食感を示すどんな言葉でも言い表せない、あえて言うなら、黄色い幸せの味がした。

一人で摂る食というのは、できるだけ手間はかけず体にいいものをということが優先になり、その結果、新しい食材に手を出すこともあまりなかったが、考えてみるとオーガニックスーパーに置いてあるもので、食べたことがないものがまだまだたくさんある。というか、大半が食べたことがない。オーガニックスーパーにあるからと言って全てが自分に合ったものや必要なものではないが、同じものを食べ続けたことによるリスク(栄養が偏る、実はそれが体に合っていなかった、万が一食物汚染があった場合など)を考えると、同じ栄養が摂れるにしろ、いろいろな種類のものを食べる方がいいのかもしれない。

今日は夕方にもう一度散歩にも出かけた。考え事をしていたが、パソコンの前にじっと座っているよりも動いた方がいいのではないかと思ったからだ。ただそれは、食と同じく一度で何か目に見える効果があるということでもないだろう。続けるからこそ見えてくることがある。

来週はインテグラル理論のゼミナールで統合的実践を扱う回だ。これを機に、自分の習慣をアップデートさせ、定着させ、長い目で見て、自分自身が本来持っているものをもっと発揮できるようになるといいなと思っている。2019.8.16 Fri Den Haag


このページをご覧くださってありがとうございます。あなたの心の底にあるものと何かつながることがあれば嬉しいです。言葉と言葉にならないものたちに静かに向き合い続けるために、贈りものは心と体を整えることに役立てさせていただきます。