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風に舞う鳥のように −モロッコの海を眺めて−

今滞在しているエッサウィラは、モロッコの西側の海沿いの街だ。

地図上で見る限りだが、ここから日本にいくよりもここから米国のフロリダに行く方が随分と近い。

日本が中心になっている地図を見ているとアフリカ大陸と南アメリカ大陸は「世界の端と端」のように見えるけれど、この大陸同士は思った以上に近くて、かつてはつながっていたのだと、モッロコにやってきてつくづく思う。

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先月滞在していたマラケシュはモロッコの内陸部のためカモメの姿は見なかったが(その代わりにコウノトリが飛んでいた)、エッサウィラはそれはそれはたくさんのカモメが飛んでいる。

これまで訪れてきた海辺のどの街よりもカモメが多いんじゃないかと思うくらいだ。

これだけカモメが多いと食べ物を得るための競争も激しいじゃないかと思うが全くそんなことはない。

海に近いルーフトップテラスでのんびり食事をしていても頭上のカモメたちはただただ悠然と、時に遊ぶように飛び回っていた。

食べ残したパンを投げても机の上に置いておいても反応がない。(カモメはパンを投げたら嘴でキャッチして食べるものだと思っていた)

彼らはすでに満たされているのだ。

エッサウィラの漁港は、世界中さまざまな場所を旅してきたオランダ人のパートナーに言わせると「世界一混み合っている港なんじゃないか」ということだ。

大きさで言えばさほど大きくはないが、港の中に小さな船がひしめき合っている。カモメたちはその漁港の周辺でいくらでも食べ物にありつくことができるのだろう。

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今日は午後のセッションの後に散歩に出かけ、エッサウィラの旧市街の中のホテルの屋上のカフェでお茶を飲んだ。


海に面したその場所からは、岩に打ち寄せしぶきを上げる波も、荒波の中を揺れる小さな船も、そして波打ち際を飛び交うカモメたちの姿もよく見える。


しばらくぼーっと海を眺めていると、目の前の磯の上の、特定のエリアではカモメたちが止まっているように見えるということに気づいた。

カモメたちは風に乗って南から北へと軽やかに踊るように飛んでいくが、そのエリアでは地形の関係か向かい風が強いようで、なかなか前に進めないのだ。


そんなカモメたちの様子を見ながら、「変化がないことはときに停滞あるいは衰退のようにさえ思われることがあるけれど、実際には違うのだ」ということが浮かんできた。

向かい風が強いときは「前に進む」というものさしにおいては変化がないように見えるかもしれない。

しかし、そんなときほど、羽ばたく力は鍛えられている。

向かい風に出会って前に進めないことを繰り返したら、風を読む力も鍛えられるかもしれない。

同じ場所に留まることで、進み続けるときには見えなかった景色が見えるかもしれない。

ときに後戻りすることで、初めて分かることもあるかもしれない。



わたしたちが「変化している」「成長している」と認識することができるものは、わたしたちに実際に起こっていることのほんの一部に過ぎない。

そもそも「変化すること」や「成長すること」が、人生において大切なことの全てではない。



やってくる風に乗って、ときに前へ、ときに後ろへ。
ときに上へ、ときに下へ。

そうやって遊び生きる鳥たちのように、わたしたちもっと自由に、もっとゆらゆらと生きることができるのだ。


「変化がない」「成長していない」と感じるときは、これまでとは違った自分自身や世界の見方があるという可能性に気づくチャンスなのかもしれない。





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