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三角コミュニケーションをやめると人生がシンプルになる

とある企業に在籍していたときのこと。

ある日、仲良しの同僚に「○○さん(別の同僚)が、そうちゃん(私)のこと●●って言ってたよ」と言われました。

●●の部分はハッキリ覚えていないけれど、ネガティブな評価だったと思います。

それを聞いて私はなんだかとっても悲しい気持ちになりました。


それを言った同僚はなぜ私に直接言ってくれなかったんだろう…

それを聞いた同僚はその場で何と答えたんだろう…

何のためにそれを私に伝えたのだろう…


その企業は社内のコミュニケーションが闊達で、感じていることを率直にフィードバックし合うという文化がありました。


だからきっと、最初にそれを言った同僚も、次に私に伝えてくれた同僚も、良かれと思って言ってくれたのだろうと思います。



「○○さんが言っていたよ」

というコミュニケーションのことを三角コミュニケーションと呼びます。

誰かが言っていることを第三者が伝聞する形のコミュニケーションです。


三角コミュニケーションは関わる人たちのエネルギーや信頼関係を少しずつ削いでいきます。


人は頭の中の空白をネガティブな感情で埋めると言われています。

「なぜそう言われたのかわからない」
「具体的にどうしたらいいのか分からない」

ということを聞くと、

「何を考えているんだろう」
「どうしてそんなことを言ったんだろう」

と、どんどんとネガティブな感情や発想が膨らんでいきます。


今ここにはいない相手に対して思っていることを言葉にすることで気持ちが整理されていくこともありますが、それが伝聞されてしまうと、本来意図していないことが伝わるということも起こります。


一方で、「○○さんが◎◎と褒めていたよ」というのは一見、「良いことを伝えているのだからポジティブな作用があるだろう」と想像する方も多いのではないでしょうか。


しかし、内容がポジティブなことであっても、三角コミュニケーションは、やはり私たちの心と関係性を複雑にしていきます。


「褒める」というのは、「その行為が正しいことなのだ」「評価されることなのだ」というように相手に思わせる力があります。

続けて欲しいと思うことは褒めればいいし、やめてほしいと思うことは叱ればいい。

ここまではシンプルです。


しかし、これが行きすぎて褒められた人は相手の期待にとにかく応えようという気持ちが強くなってしまうことがあります。


知らず知らずのうちに「他者の期待」を「自分のやりたいことだ」と思い込むようになるのです。


そうして、だんだんと自分の本当の気持ちが分からなくなっていきます。


三角コミュニケーションを通じて聞いた「誰かの褒め言葉」は、目に見えない相手の期待として、どんどんと自分の中で大きくなっていきます。

不思議なことに、「目の前にいない誰かが言っていたこと」は、「直接言われること」よりも、ずっと大きな影響力を持っているのです。


「わたし」でも「わたしたち」でもない、誰か。

そんな誰かの影響を受けてどんどんと窮屈にはなっていないでしょうか。

誰かの言葉を伝聞するばかりで、自分が思っていることを伝えていないということが起こっていないでしょうか?


感じていることをその場で相手に伝えることはときに勇気が要ります。

ちゃんと伝えるには手間や時間がかかるかもしれません。


それでも、「今ここわたし」が「目の前の相手」に対して感じていることを言葉にしていくと、人生はどんどん楽に、シンプルになっていきます。



私たちの一生はあっという間。


せっかくなら、誰かの言葉を伝えるのではなく、あなた自身が感じていることを、あなた自身の想いを、目の前の人に伝えてみませんか?







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