心が揺れた言葉

最近メモを取ることが好きです。

でも、このメモに書くのは仕事の情報ではなく、スケジュールでもなく、心が揺れた言葉です。

自分へ向けた名言・名フレーズ集です。

生活の中で意外と胸に響くワードって出会います。
でも、時間が経てば忘れちゃうし、状況が変われば響かなくなります。

野球少年は大リーガーの名言に感動して練習を頑張るかもしれません。
しかし、3年後には硬球ではなく同級生の女の子のことばかり考えているかもしれません。

そうしたら成長した青年は同じ名言で感動するでしょうか。

恐らくしないでしょう。何なら嫌いになっているかもしれません。

だから、この名言メモには何を感じたかも書き込みます。
それは、1行の走り書きでもいいし。懇切丁寧に長々と状況や意味を書いてもいいです。

後で見返した時、
「あぁ、そういえばこの時はこんなこと考えていたっけ」
と少しでもそのエネルギーと感動を思い出したいのです。




そもそも、何でこんなことをしてるかというと。
せっかくの感情がもったいなく感じたからです。

感動して、心を大きく動かされたことは確かにあるはずなのに、そのエネルギーも感動も今ではまるで思い出せません。


遥か昔、私は大好きだったライトノベルがありました。
スーパーダッシュ文庫から発売された。
松智洋先生の 【迷い猫オーバーラン!】 という作品です。

この作品には、当時の私が自分の部屋で身もだえするほど大好きなシーンがありました。

ツンデレで暴力的な幼馴染の【芹沢 文乃】というキャラクターが登場するシーンです。

普段は良くも悪くも直接的に感情を表現している文乃ですが、主人公である【都築 巧】を取り巻く周りの環境がどんどん変化していくなかで、自分が取り残されているように感じ、自室のベッドで「置いていかないでよ」と誰に言うでもなく1人つぶやく。

このシーンには挿絵があり、普段は高いところで結んでいる髪をほどいていることもあって、勝ち気で暴力的な印象から、想い人について健気に悩むか弱い少女として描写されていました。

その普段とのギャップ、健気な孤独をたまらなく愛らしく思い、何度も読み返して、その挿絵を見ると愛おしさと切なさで誇張表現でなく身もだえしていました。


こんなに詳細に長々しく語っているからには今でも相当心に残っているのだろうと思うかもしれませんが、悲しいですが実際はそうでもありません。

15年以上前の感動の残り香をかき集めて書いています。

すこし前に実家に帰った際、ふと目に入り同じページを読んでみました。
私には当時の文乃への愛しさも身もだえするほどの心の動きも感じられませんでした。

時間の残酷な切なさと同時にこんなことを考えました。

なんてもったいないことなのだろう。
あの時は頭が文乃ばっかりになり、学校にもその本を持って行ってしまうほど大好きだったのに、そのエネルギーも情熱もただ時間が経ったというだけで消えてしまっていいのか?

行き過ぎると懐古厨などとめんどくさい人物扱いされそうです。
それでも確かにあった自分の情熱が年を取って熱を持つことがやや億劫になった身にも、冬場のカイロ程には心地いい熱としてよみがえってくれるといいなと思っているのです。



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