ボヘミアン・ラプソディ和訳後分析⑩~ハードロック1~


フレディ・マーキュリー作詞作曲のボヘミアン・ラプソディの和訳後に、さらに分析をしています。

今回はハードロック部分です。

"Bohemian Rhapsody"
Written by Freddie Mercury

So you think you can stone me and spit me in my eye-
So you think you can love me and leave me to die-
Oh Baby-Can't do this to me baby-
Just gotta get out- just gotta get right outta here-


ここからの脱出

私は、このハードロックパートのポイントは、今いる場所からの脱出だと考えました。

このパートの最後に、

Just gotta get out - just gotta get right outta here -

と言っています。このhere(ここ)の意味するところがポイントです。


分析

では、解説します。

So you think you can stone me and spit me in my eye-
So you think you can love me and leave me to die-

この冒頭部分を見てください。

1行目は、So you think you can の後は、stone me and spit me と、冒頭はSで統一されています。

2行目は、So you think you can の後は、love me and leave me と、同じく冒頭はLで統一されています。

loveとleaveも、母音だけ違う単語です。発音的にはshort ”u”とlong ”e”です(カタカナで表すと「ア」と「イー」)。lAvとli:v。

最後の単語は、1行目がeye、2行目がdie(アィとダィ)。

この2行は繰り返しも使われており、メロディも似ていて、かなりリズム感がいいです。


しかし、注目すべきは、loveとdieという単語です。

愛情についてと、バラードから引き続くテーマである「」の記述です。

オペラパートで「死」に関する記述があるとすれば、最後の、

Beelzebub has a devil put aside for me
(魔王が僕に向けて悪魔を一匹用意してる)

が当たるかなと思われます。少なくともかなり怖がっています。


1行目は、石を投げ、侮辱する、と、かなり激しい様子ですが、リズム感を重視しているだけで、言いたいのは2行目だと思います。

「愛していながら、見殺しにする(死にそうなまま放っておく)」。

これができるのは、かなり親しい人のはずです。

まずは、家族が思い浮かびます。

「見殺し」とは、本当の見殺しではなく、自分の才能を発揮せず、または生の喜びを表さずに、ルールに従って死んだような生活を送ることが「死」であると推測します。

ルールとは宗教などが絡みます。


また、3行目の、

Oh Baby-Can't do this to me baby-

は、呼びかけがbabyです。

いかにもロックンロールっぽいですが、これはフェイクかもしれません。

このbabyもバラード、オペラに引き続き、基本的にmamaのことを示すと思います。

愛しい人への呼びかけだからです。

thisは、2行目の内容(愛と死の抱き合わせ)を指します。


最後に、

Just gotta get out - just gotta get right outta here -

ときます。

抜け出さなきゃ、ここから抜け出さなきゃ

と2回繰り返します。

このようなひどい仕打ち(石打ち・侮辱、そして裏切り)を受けているので、ここから逃げるというイメージが浮かびます。


しかし実際には、恐らく、このような侮辱はされていません。

you think you canなので、相手は思った(と主人公が考えている)だけです。

冒頭にsoが付くので、相手の何かの発言や行動を受けての、買い言葉のような状態も推測されます。

ただ、相手の中にそうしそうだ(you can)という風に感じただけです。


むしろ自分自身にそう思い込ませて、わざわざ言わなきゃ出て行かれないのかもしれません。

それは、家族のコミュニティを思わせます。


とても居心地がいい、安全な場所。

異国からやってきて、ここが唯一安らげる場所。


しかし、そこに居続けるためには、ルールがあまりにも多い。自由がない。


ハッパをかけて出ていかないと、出て行かれない状況と言えます。


私は以前の深掘りでは、このパートは「死の受容仮説」を採用し、オペラパートの前に来るとしていましたが、この順番でもいいかもしれないと思い始めています。

直前のオペラパートでは、魔王に悪魔を用意されたことを悟り、阿鼻叫喚します。

そのつながりで、ハードロックパートに入るというのもやはりあり得ます。

どちらも「曖昧である」という点で共通するからです。

自分に向け、悪魔を用意された(put aside)だけ、と、you think you canという、思っただけ。

soでつながっていてもおかしくはありません。

実際に主人公に何かしたわけではなく、そういう気配があっただけ。むしろ被害妄想かもしれない。


しかし、オペラでは恐怖におののき、ハードロックでは怒り狂う。


あまりに激しすぎます。


そうやって、目に見えないものを見(または見えてしまう)、無理やり家族から脱出しようとするのかもしれない。


しかし、それが家族なのかもしれない。

「毒親」という言葉が流行っているが、意外と曲者なのが家族。


かつての、子だくさんで結婚の早い時代ならあまり問題にならなかったような、愛着障害や共依存などの問題も起きている。


ダメ男子とズルズル付き合うような、DVを受けてもまだ離婚できないような、依存(いそん)の状態。


そんな関係を思わせる。


精神的な不健康さ。


実際に不健康なわけじゃないけど、何となく感じる違和感。

そして、自分が先に進むためには、そこから出なくてはいけないといきり立つのかもしれない。


その他の説

家族以外にも、今の個人的な問題から逃れたいのかもしれない。例えば、この曲の収録アルバムや前のアルバムにもある、マネジメントへの怒り。

音楽業界の搾取者たちへの怒り。

こんなところから出てってやる。

または、マスコミや批判的な人々。

他にも個人的に何か裏切りがあったかもしれないし、無限に考えられる。


ただ、一つ私が思い浮かぶことがある。


それは、インド時代の寄宿舎

レスリー。アン・ジョーンズの伝記(フレディ・マーキュリー華麗なる孤独)を読んだ。

現タンザニア、ザンジバルで生まれたフレディは、5歳で現地のキリスト教っぽい学校に入り、7歳ではるばるインドの寄宿舎に送られる。

インドはそもそも両親の住んでいた場所。より良い教育を求め、そこに行かせたという。

そこで何があったかは詳しくは分からないが、最終的に現地の高校を中退し、ザンジバルに戻っている(革命の直前)。


このことが、ここからでなくっちゃ、のイメージにつながる。

デビューアルバムA面最後の曲、「マイ・フェアリー・キング」の最後、

母なるマーキュリー、彼らが僕にしたことを見てください。
逃げも隠れもできない。

という歌詞も気になる(フレディ改名のきっかけになる曲)。


こういった子供時代の寂しさ、悲しみがぬぐい切れずにくすぶっているのではないか。

子供の時に受けた傷というのはやっかいで、自分では身を守れない子供が受けた傷は一生人生に影響を及ぼす。


なぜ私がそんなことを言うかというと、私の母がそうだから。

子だくさんの家庭だったが、割とネグレクト状態にあり、今でいう相対的貧困状態であった(都内の一等地に生まれた)。母の愛に飢えており、父は仕事で忙しい。宗教も絡んでいた。


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