森くみ子

阿波藍のこと日本の藍のことを調べています。藍の歴史や技術にまつわる多くの情報を次世代に繋ぎたい、もっと多くの人たちとこれからの藍の定義を共有したいと考えています。徳島市内でアトリエHANADA倶楽部 主催→ https://www.japanblue.info

森くみ子

阿波藍のこと日本の藍のことを調べています。藍の歴史や技術にまつわる多くの情報を次世代に繋ぎたい、もっと多くの人たちとこれからの藍の定義を共有したいと考えています。徳島市内でアトリエHANADA倶楽部 主催→ https://www.japanblue.info

    最近の記事

    日本の藍と明治 変わっていく藍色- 混合建(割建)という技術

    安政5年(1858)に締結された日米修好通商条約に基づき、翌年には先行して横浜港が開港、生糸貿易の中心となります。欧米の新しい技術、製品とともに輸入されたインド藍など染料関係は関東から浸透します。そして幕末の混乱から10年経った明治2年(1869)に漸く開港した神戸港に、インド藍や化学染料が輸入されるようになると、西日本の織物産地にも大きな変化が見られるようになりました。それでも京都など一部の需要者によって久留米絣や小倉織、柳井縞など阿波藍を使った木綿織の産地は支持されたこと

      • 藍草・染料による青系統の名称ー明治期、藍の盛衰で変わる新しい藍色の混乱

        藍で染めた色の名称は中国の隋・唐の法体系に基づく律令制が倭に導入された時から、呉語、漢語、和語表記の並立による混乱でしたが染材は藍草でした。すでに平安時代になると青、縹、藍色の区別が鮮明でなくなり、各々の所属先で使われ伝わる範囲で名称が固定して、色名と色の区別が統一され普遍的には成らなかったように思えます。一方源氏物語や枕草子などの文学作品のなかには、藍で染めた濃淡を表す水色、浅葱色.瑠璃色など新たな色名も増え、他の染料と染め重ねた萌黄や桔梗、紫苑など複雑な色も貴族や公家の間

        • 青の歴史ー多くの民族によって創られた青色の文化

          世界各地にさまざまな青色を染める植物があって、遥か遠い昔から人類に利用されてきました。 地球上のそれぞれの地域で、青の歴史は創られてきました。 染料の化学、染織技術、交易活動、イデオロギーの表現、美学的追求など2000年以上にも渡って多くの民族が独自の文化を創り出しました。 15世紀後期インド洋航路が発見されてから、ヨーロッパの列強国によってそれまでの多文化が大きく壊滅されていきます。 ヨーロッパにおける藍をめぐる各国の係争を知ったとき、日本ではなぜ阿波(徳島県)だけが長い

          • 藍と吉野川 -藍という商品作物

            徳島平野を流れる吉野川は古来一定の河道を持たず、洪水のたびに流路を変えてきました。藩政時代にも治水対策として一部堤防を築いていましたが、両岸に連なる竹林が洪水の勢いをおさえることで毎年のように見舞われる洪水に対峙していました。 阿波藍の始まりは蜂須賀家が洪水によって稲作が困難な農地に、旧領の播磨国から種子と技術を導入し藍を奨励したという説がひろく伝唱されてきました。しかし文献資料などから室町時代には藍の商品化が確認されるので、近年は蜂須賀家が藍の保護政策により吉野川流域に広め

            HANADA倶楽部ー徳島市眉山の麓にある藍染工房です

            藍と人との関わりが始った古い時代から現在までの情報を整理、発信します。 天然染料である藍が、長期にわたって途切れることなく流通し存続してきたことに心が動かされます。 世の中に埋もれ、忘れられている藍の周辺のことを調べて集めています。「阿波藍のはなし」をお読みくだされば幸いです。 HANADA倶楽部は徳島市内の東西に細長く山裾を広げた「眉山」の麓にあります。吉野川の河口に位置するこの辺りは古代では海の中です。 小島であった「眉山」は聖なる山とされ、一切の民を住まわすことが禁じ