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原始・古代布ⅳ 「大麻」「苧麻」-麻・苧・蕁麻・楮・榖・藤・葛・桑・科・蚕糸-

遺跡の発掘出土品から、例えば土偶の装飾や縄状植物繊維から少なくとも縄文時代には衣服を身につけていたと考えられます。衣服に用いられた繊維の調査は地下埋蔵環境中で腐朽していることが殆どなので、困難なことですがアサ科の「大麻」イラクサ科の「苧麻」「赤麻」「蕁麻」の植物繊維が確認されています。

大麻の原産地は中央アジア・西ヒマラヤといわれ、世界各地で古くから栽培され世界最古の繊維作物ともいわれています。繊維は衣服・縄に用いられる他、種実は食用にされました。日本には縄文時代草創期から渡来し、福井県・鳥浜貝塚からは大麻製編物と種子が出土しています。縄文時代早期の千葉県館山市・沖ノ島遺跡、秋田県・菖蒲崎貝塚では果実を煮沸していたことがわかっています。その後、縄文時代前期~弥生時代にかけては、三重県・兵庫県・佐賀県・宮城県・青森県・秋田県・新潟県・富山県・石川県・熊本県・鹿児島県・静岡県・北海道など各地から出土され、集成事例は少ないものの列島全域に広がっている様子がわかってきました。

「斎麻畑」の大麻

苧麻の原産地は東南アジアといわれ、日本では古墳時代になって苧麻製の織物が発見されるようになります。「弥生時代から古墳時代前期の遺跡で出土される植物繊維製品の殆どが大麻製で、木綿や樹皮を用いたものは極僅か・・」と布目順郎が云われています。その後苧麻は大麻に変わり使用されるようになりますが、大麻と苧麻の使用比率は弥生時代には8対2であったものが、奈良時代には2対8に逆転していることから、次第に日常の衣類に苧麻が使用されるようになったようです。

多くの研究者が日本列島に麻が渡来する時期を、弥生時代以降稲とともに移入したと古くから考えられてきました。そのため縄文遺跡の遺物のなかに麻の痕跡は見逃されてきましたが、近年の再発見で縄文時代の初期から漆・瓢箪と一緒に麻も発見されて、12,000年前まで遡ることが明らかになりました。「アサ」と記載されてきた大麻と苧麻と赤麻の区別も、大賀一郎から研究を引継いだ布目順郎によって、繊維の側面と断面の構造の違いから様々な種類の繊維を区別できるようになりました。

麻は肥沃な土地においてよく生育しますが、痩せた土地でも育つことができることから野生化する場合も多く、繊維として利用するには栽培・管理に手間のかかる植物です。岡山大学資源植物科学研究所・笠原安夫はロシアの植物・遺伝学者ニコライ・ヴァヴィロフの栽培植物の起源の研究より「麻が人間の移動していく際に、その随伴者となる」という特性から日本の麻が旧石器人の随伴植物として移入し、その後栽培、または逸出した可能性を示唆しています。

平成二年十一月「大嘗祭」の麁妙を造るため阿波忌部の裔孫三木信夫氏によって大麻が栽培された「斎麻畑」

大同2年(807)に成立した『古語拾遺』斎部広成に「神武天皇の勅命を受けた天富命(アメノトミノミコト)が、天日鷲命の孫を率いて阿波国に渡来して麻、榖を植えて麻植郡を創設」と記されています。神話のなかの話のようですが実際に徳島県の麻植郡は、平安期の文献『和名類聚抄』に郷名が記載されています。徳島市の観音寺遺跡から出土した690年頃と推定される木簡に「麻殖評伎珥宍二升」と最古の表記があり、天平4年(732)の租税である「絁(あしぎぬ)」に麻殖郡川嶋の地名、忌部為麻呂の戸主名が記され正倉院に所蔵されています。麻植郡川島にある史跡の川島廃寺跡は、法起寺式の伽藍配置をもつ大日寺と推定され、創建は白鳳期もしくは奈良前期といわれ、麻植郡一帯で天日鷲命を先祖にもつ忌部氏の活動が窺えます。

麻植郡(吉野川市)には「麻」を意味する地名や史跡が多く残り、向麻山北麓の川で麻を晒して糸をつくり織物をしたといわれ、麻植塚・麻懸谷・麻筍岩・麻晒池・木綿麻山(ゆうまやま)などの地名ともに、縁のある神社名にも「麻」が散見します。5~6世紀頃には天日鷲命を祖神とする阿波忌部が、美馬郡の東部及び麻植郡の西部地方に居住し、集団で麻や榖などを植え織物・農工に従事していたことが想像できます。

阿波・淡路両国の総産土神として崇め奉る、阿波一宮・大麻比古神社が鳴門市大麻町に祀られています。祭神の大麻比古神は天太玉命(アメノフトダマノミコト)のこととされていますが、昔から祭神が議論の的になっています。背後の大麻山に古くから祀られていた猿田彦大神も合祀されていますが、室町時代成立の『大日本国一宮記』には猿田彦大神が祭神とされ、文化12年(1815)の『阿波国式社略考』でも猿田彦大神で統一していました。現在は安房国下立松原神社に伝わる高山家文書『安房忌部本系帳』から、大麻比古命は天日鷲命の子でまたの名を津咋見命(ツクイミノミコト)であると書かれていたことから、大麻比古神=天太玉命とは明言せず、大麻比古神としています。『安房忌部本系帳』の史実性は不確実とされていますが、因みに津咋見命は『古語拾遺』の中の天照大神の岩戸隠れの場面で、天日鷲命とともに榖の木を植えて白和幣(木綿・ゆう)を作った神です。

大麻の「大」は称え辞で、伴部に於ける大伴、海部に於ける大海の如きと同じく、大粟神社の大粟が粟族の大本という意味ですので、麻族の大本を祀った神社が大麻比古神社だとも解釈できます。古代の麻はあさ、ぬさ、ふさ、などの名称があり、麻は神に供える幣帛(ぬさ/へいはく)をつくるのです。神道の祭祀において幣帛とは貴重な神への捧げ物であったはずです。

註:『古語拾遺』岩波文庫 西宮一民校注

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https://www.japanblue.info/about-us/書籍-阿波藍のはなし-ー藍を通して見る日本史ー/

2018年10月に『阿波藍のはなし』–藍を通して見る日本史−を発行しました。阿波において600年という永い間、藍を独占することができた理由が知りたいと思い、藍の周辺の歴史や染織技術・文化を調べはじめた資料のまとめ集です。


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