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呉藍 紅藍 紅花 韓紅花 紅藍花

   呉藍 紅藍 韓紅花

呉藍は和名を「久礼乃阿為」くれのあい、やがて漢名の紅藍・紅花を用いるようになります。飛鳥時代に中国から朝鮮半島を経て渡来したといわれています。呉国(中国)から伝えられた藍(当時は染料の総称)という意味で、「くれのあい」が「くれあい」と訳されやがて「紅」の字を当てるようになったといわれています。万葉集では29首が詠まれていますが「くれのあい」から「くれない」に変わり、末摘花を併用しているものも1首あります。赤の色素を持つ植物は少なく、古代染色の中でも紫とともに貴重な染料で、茜に比べて鮮やかな色は貴族の憧れの色でした。
『延喜式縫殿寮』には標準色を染めるための説明が記載されています。赤系統の色は茜草と紫草を使った深・浅の緋、蘇芳を使用した深・中・浅の蘇芳、紅花を使用した韓紅花(からくれない)、中紅花、退紅(あらそめ)と四種類の染材が使われて染められています。それぞれの染材を用いて布帛・糸など材質の違いと濃度によって深・中・浅の染め方と用度が記載されていますが、紅花の場合は濃度での表し方ではなく濃淡で違う色彩名が記され、あいだの色に中紅花貲布と記された3色です。貲布とは「さいみ/さよみ」といわれる織り目の粗い麻布を紅花で淡く染めた用度が記されています。「韓」の意味は「からは赤(あから)の略で、紅の鮮明なことをいう」と国語辞書『大言海』に書かれているそうで、そう解釈するならなぜ紅花だけ濃淡染の表記に固有名詞が使われたのかも気になります。

万葉集の原文に呉藍の表記が1首だけありますが、紅との意味の差異はありません。

呉藍之 八塩乃衣 朝旦 穢者雖為 益希将見裳(巻11–2623)
くれなゐのやしほの衣朝な朝ななるとはすれどいやめづらしも

奈良時代の様子がわかる万葉集で詠まれた「呉藍之 八塩乃衣」が、平安時代の拾遺和歌集でも「紅の八しほの衣」、鎌倉時代の続古今和歌集の中でも「韓藍のやしほの衣」と縁語のように詠まれています。何か共通の意味がありそうですが、如何なる草を想像して詠まれたのでしょうか。

藍のことを調べていて「呉藍」の文字を初めて見たのは『和漢三才図絵』に掲載されている藍・藍澱・青黛の説明文のなかです。正徳2年(1712)に寺島良安によって編纂された類書(百科事典)で、中国の『本草綱目』を参考に挿絵を入れて解説をしています。藍の項目に藍の種類として「蓼藍」「菘藍」「馬藍」「呉藍」「木藍」が記載されています。蓼藍の和名が付け加えられただけで、説明文は本草綱目の引用と国内での藍の説明があります。
医師で本草学者の李時珍(1518-1593)が1596年に著した薬物書『本草綱目』集解での藍の説明には「藍凡五種各有・・・・」からはじまり蓼藍、菘藍、馬藍、呉藍、木藍と五種類それぞれの藍草の葉の形や花の色などが記されています。私の確認した『本草綱目訳説』小野蘭山(1729–1810)は書写年が不明です。中国で最初に出版された数年後には日本に輸入され、その後版を重ねることに和版を出版していて、和刻本は3系統14種類に及ぶそうです。

中国においては、古くから数多くの本草書が編纂されており、梁の陶弘景により480年頃改訂復原した『神農本草経』別録に初めて「大青」の名が挙がっています。その後の本草書、医薬の書物などにも薬草、染料として藍は掲載され続きます。時代が経つと馬藍、木藍などの科の違う品種の藍草の分類や、その薬効についても追加されるようになり内容が豊富になります。

   紅花 紅藍花

薬物書『本草綱目』(1596年)李時珍に「べにばな」はどう説明されているのでしょうか。漢名は「紅藍花」、「釈名(別名、名称の由来)」では「紅花」「黄藍」その花は紅色、葉は藍に似ているので名に藍がある。と書かれています。薬物書『経史証類備急本草』(1061年)唐慎微では「紅藍花」、産業技術書『天工開物』(1637年)宋應星には「紅花」、紅花餅の造方法も記されています。

日本での呉藍→クレノアイ→紅藍→紅花と名称の移変りを説明する文献は『本草和名』『和名類聚抄』『和漢三才図絵』を引用して論ずる場合が多く見られます。

『本草和名』は醍醐天皇に仕えた侍医・深根輔仁が延喜年間(901–923)に編纂した薬物辞典です。長く不明になっていた上下2巻全18編の写本が発見され、寛政3年(1796)に校訂を行って刊行されました。下巻の第20巻有名無用193種に「紅藍花」久礼乃阿為と記されています。上巻の第6巻-第11巻草上中下の中に藍実・茜根・紫草の記載はあり、「紅藍花」の記載がある第19、20巻は後年の付け加えかも知れません。

『和名類聚抄』は平安時代の承平年間(931–938)に源順が編纂した辞書です。私が確認できたものは那波道円校注の元和3年(1617)刊の元和古活字本です。第184染色具の中に「紅藍」はあり『辨色立成』では久礼乃阿井「呉藍」と同じ。と記され「紅花」俗用之。とも記されています。辨色立成は和名類聚抄の中にしか書物の名は見られず、現在でも存在が確認されていません。中国の書といわれていたこともあったようですが、中国でもこの文献は見つかっていません。

『和漢三才図絵』は正徳2年(1712)に寺島良安によって編纂された類書(百科事典)です。「紅花」紅藍花 黄藍 俗云 久礼奈伊 呉藍クレノアイ、「藍」の解説と同じく中国の薬物書『本草綱目』釈名・集解を参考に挿絵を入れて説明をしていますが、「俗云」は寺島氏によるものです。文政7年(1824)の秋田屋発刊で確認しましたが薬効としての説明より、国内での栽培産地や染色の仕方などの記載がされ、口紅のことも記されています。

『本草綱目』「藍」の項目に五種類の藍草があると記載され、その中に呉藍との表記があることから、呉藍も青を染める藍草と考えるのが順当かと思います。『本草綱目』「紅藍花」の項目に記されていた[・・・・葉が藍に似ている・・・]というのを推測できる文献は、『経史証類備急本草』で「呉藍」と「紅藍花」の図がそれぞれ確認できます。簡素な図なのではっきりと断言できませんが、呉藍の葉は茎が長く蒿(よもぎ)に似ていると書かれているので正確な記述のように思えます。

「従来わが邦で用いられている漢名には、その適用を誤っているものがすこぶる多い」植物分類学者・牧野富太郎が随筆の中で語られているのを考慮しながら、「呉藍」「紅花」が栽培されていた遠い昔の標野を思うのです。

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https://www.japanblue.info/about-us/書籍-阿波藍のはなし-ー藍を通して見る日本史ー/

2018年10月に『阿波藍のはなし』–藍を通して見る日本史−を発行しました。阿波において600年という永い間、藍を独占することができた理由が知りたいと思い、藍の周辺の歴史や染織技術・文化を調べはじめた資料のまとめ集です。

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