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結べ、関西と福岡!~日本の文化を創った偉人~

皆様こんにちは。
本田拓郎(Takuro Honda)と申します。
この記事へお越しくださいまして、
ありがとうございます。

このnoteでは、今現在観光業に就いている私が、私の目線で、「観光旅行歴史文化教育」について、知識や新たな発見の提供、その他自論を展開し、「勉強になった!」や「こんな考え方もできるなぁ」という、古代ギリシャでいう、「アゴラ」のような場所を目指します。
私が勉強していることを皆様とも一緒に学ぶというスタイルで、
記事を創っていきます。

さて、私は18歳まで福岡にて過ごし、大学4年間は東京で生活しておりました。今は仕事で関西・大阪で生活して4年目です。関西はかつて都があったり、貿易の拠点があったり、日本の歴史の中心を担ってきました。

そんな、歴史の主人公である関西と、私の地元で、愛する福岡との繋がりをご案内いたします。

第1回のテーマは「菅原道真」です。
拙い文章力と乏しい考察力ではありますが、
よろしくお願いいたします。

1. 菅原道真って何をしたの?

小学校の社会の授業で必ず登場する菅原道真。
皆様も聞いたことあるお名前ではないでしょうか。でも彼が何をしたのか覚えてますか?何もしてないのに社会の教科書に出てくるはずはないですよね。ではザックリ、プロフィールを紹介します。

出身:京都
生没:845年ー903年
役職:右大臣など
墓所:太宰府天満宮(福岡県太宰府市)


まぁこんな感じにしておきましょう。
ここでたくさん書いちゃうと後で書くネタが無くなるので笑
道真は平安時代を生きた政治家で、右大臣として天皇の補佐をし、政治を中心を担っていました。教科書で学ぶ道真の最大の功績は、894年に遣唐使を停止させたことではないでしょうか。「白紙(894)に戻そう遣唐使」っていう語呂合わせで覚えましたね!

ポイントはこの出来事がなぜ功績なのかということです。
まず遣唐使とは、日本から当時の中国の王朝唐に留学生を派遣し、大陸の文化を日本に取り入れていく目的で、630年から始まりました。奈良時代には多くの物が日本に入ってきて、「天平文化」を形成し、政治や文化に大きな影響を与えました。

しかし道真はそんな画期的なシステムを廃止してしまいます。中国との交流が少なくなることで、文化の流入も減少しました。そんな中、日本では「国風文化」が誕生し、日本独自の文化形態が世を席捲することになります。現代の日本人のコミュニケーションツールである「かな文字」が生まれ、紫式部の『源氏物語』や、清少納言の『枕草子』など、大ベストセラー文学が誕生したのです。

今まで日本にはなかった文化を作り上げたのです。その背景にいたのが道真であり、これは歴史上における、大変大きな功績と言えるのではないでしょうか。

2. まさに天才!「学問の神様」と言われる由縁

実は道真は政治家としての活躍だけではなく、詩人や歌人など、文化人としても才能を発揮していたのです。鎌倉時代に藤原定家が選抜した『小倉百人一首』は、皆様ご存じでしょうか?高校1年生の冬休みに覚えるよう宿題が出て、嫌々覚えた苦い思い出があります笑そこにも道真が詠んだ歌が収録されています。

此のたびは 幣(ぬさ)も取り敢へず 手向山 紅葉の錦 神の随(まにま)に

「たび」は「度」と「旅」の掛詞で、道中の仏様に手向けるものがなかったので、目前に広がる紅葉を差し出した風景を歌った、趣深い歌です。
表現の小技を組み込んだり、三十一文字に情景を思い描く言葉選びは天才の成し得る技ですね!六歌仙の一人で、『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルとも言われる、在原業平と親交があったとも言われ、センスが磨かれていたんでしょうね。この他にも多くの有名な短歌を残し、他にも、漢詩彫刻まで、様々な分野の研究を行っていたともされています。

これぞ天才!
現代でも「学問の神様」と呼ばれるわけですね!!

3. 左遷と伝説

こんなハイスペックな人間は誰もが羨む存在ですが、その一方で気に食わない人も出てきます。901年の「昌泰の変」にて、醍醐天皇と左大臣藤原時平により、京都から追放され、大宰府へ左遷させられます。しかし、ここから様々な伝説が生まれ、ますます道真が神格化されていきます。

道真は自宅に庭にあった梅の木を寵愛しており、京都を離れる際に、

東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ

という歌を詠み、悲しみに暮れていました。
しかしその梅がこの歌に答えるかのように、大宰府の道真宅まで飛んできたというのです!!!これが「飛梅伝説」です。

道真は結局京都に戻ることなく、大宰府にて生涯を終えることになります。
そこで事件が起きるのです。朝廷の会議をしていた京都御所にて、落雷が発生し、朝廷の主要人物が複数人死傷し、目撃していた醍醐天皇もその後すぐに崩御します。「道真の怨霊が雷様となり、朝廷を急襲した」と言われ、道真を神として祀るために、京都に北野天満宮が建てられたのです。
福岡の太宰府天満宮とともに、天神信仰の二大中心地で、受験期には参拝しに行った方も多いのではないでしょうか。道真は現代でも多くの人から尊敬され、愛される神様として、私たちを見守ってくれているのかもしれません。

最後に少しおもしろいエピソードを1つ。
道真は遺言で、
「自分の墓は、大宰府政庁から牛車を引いて、止まった所にしてほしい」
と遺したそうです。
前述のとおり、道真の墓所は太宰府天満宮で、大宰府政庁からおよそ2㎞...
牛はちょっとしか歩いてないんですね...

4. 歴史でつながる旅行論~京都と福岡~

福岡の学生のほとんどは、修学旅行で京都を訪れます。しかし、北野天満宮を組み込んだ行程はほとんどなく、自由行動の時間でしか訪れる機会はないのではないでしょうか。京都は美しい世界遺産も、おいしいごはんも、おしゃれなカフェも、行きたい場所ややりたいことがたくさんあるから、ティーンエイジャーで、北野天満宮に魅力を感じる人は、少ないのかなと思います。私が中学生の頃も、自由行動で訪れる候補にも挙がらなかったです。でも、関西に赴任して、京都を訪れた時に、道真で福岡と結ばれたこの場所で、ご挨拶をいたしました。

旅行において、歴史や文化に触れることも大事ですが、地域の繋がりを学び、遠い場所がもっと近くに感じれるプランにしていけば、
もっと楽しむことができるのではないかと思います。

ぜひ、京都にも、福岡にも旅行しに来てくださいね!!
と、言いたいところですが、今は我慢の時です。
外出制限が解除されたら、お越しください!

長くなりましたが、
今回も読んでくださいまして、誠にありがとうございます。
Ciao...

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