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瞑想と光

今日は結構スピリチュアルな話で。

私はいつも寝る前にベッドの上で胡坐をかいて軽く瞑想します。
瞑想方法はその時の気分次第。
色んな瞑想があるので、自分のメンタルの状態等で効果が期待できそうな瞑想を行います。
 
何年も瞑想を習慣として続けていると、不思議なことを色々と経験します。
色んな不思議体験の中の一つですが、「白い光に包まれる」ことはよくあります。

瞑想中ではなく、瞑想した後眠っている時です。
 
一時期は毎週のように、深夜にあまりにまぶしい光に目が覚めて、目を開けると、夜中で部屋の中は真っ暗なのです。
寝室は一人なので、誰かが電気をつけた、とかもなく、窓もしっかりした遮光カーテンを使っているので外からの光でもないです。
何度も同じ現象が起きたので、
「目をつむっている時にまぶしくて、目を開けると真っ暗って、どうやったら眠れるんだ?!」とツッコミたくなったほど。
 
夜中にふと目が覚めて、目を開けると光に包まれ、メッセージが聞こえたこともあります。(この時はピンクの光でした)

 
強烈にまぶしい光のツボのような場所にドボンと落ちて光に包まれることや、人生で出会ったことのないほど桁違いに圧倒的な存在感とともにある光を目の前にし畏敬の念でいっぱいになったことも。
 

こういう変わった現象の話をすると、「脳が起こしている錯覚、幻覚」といわれる方も多いです。

実際そうかもしれませんし、そうでないかもしれない。

 
この世界のことは、今や量子コンピューターが実用化されているほどに進んでいますが、それでも、まだまだわからないことだらけです。
私自身全く理解できてないですが、M理論や超弦理論でもまだこの世界の全てを解明できていないでしょう。

 
だから、私は、「脳が起こす錯覚かもしれない」ことは認識しつつ、自分の受けた感覚、直感の方を信じるようにしています。
 
 
私自身、光の体験は人生観を変えてしまうくらいの「祝福」に感じますし、感謝と生命、宇宙への敬意でいっぱいになります

 
私には光は生命、魂の光だと感じます。

 
あなたも私も、神聖で完全な生命の光です。

 
欠けているものは何もなく、やるべきことは何もない
 

愛でできた光です。
 


 
私たちは言葉を覚えるころから、家族や周りの人たちからの価値観を教わり、学校や社会の中で自分という立ち位置や自分という存在について学びます
 
周りと比較して、秀でているところ欠けているところ、何をしなければいけないか、何を手に入れなければいけないか、何者にならなければいけないか、そういった意識を自分に植え付けます。
 
でも沢山の他人から与えられた意識や知識の海の中に浸かった自分の意識は、本当に自分が心から、魂レベルで求めていることをわかっているでしょうか?
 
 

私は光を感じた時に、光とコミュニケーションしようと試みました。
 
私の人生や悩み事をどんな風に感じているか、聞いてみました。
 
尋ねると同時に答えは返ってきます。
 
私が体験するすべてを楽しんでいる”そうです。
 
愛に満ちた光は、もっと愛を広げたそうでした。
 
 
まずは私自身がその光を日常生活でもできるだけ感じられるようにつながり、自分自身へ愛を放ちたいです。
 
 
そういえば、先日夜寝る時に右手首からひじの方に腱鞘炎のような痛みがあってなかなか寝付けませんでした。
痛む箇所に左手を置き、指先で軽くトントンしながら、「ありがとう、愛してるよ」と心の中で繰り返すこと6,7分、突然痛みがうそのように消えて、自分でもびっくりしました。
 
翌日もその次の日もその腱鞘炎のような痛みは再発していません。
 

自分自身を愛で満たしていたら、周りの人にも愛を広げることができる気がします。
 
そしてもっと魂の光とつながることができたら、“誰か”と比べた幸せではなく、もっと根本的な深い幸せに辿り着ける気がします。
 
 


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