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「エゴン・シーレ 死と乙女」

原題:Egon Schiele: Tod und Madchen
監督:ディーター・ベルナー
製作国:オーストリア・ルクセンブルク
制作年・上映時間:2016年 109min
キャスト:ノア・サーベトラ、マレシ・リーグナー、ファリエ・ベヒナー

 画家が主人公の映画はこれまでも制作され、時間が許す限り観ている。当然ながら画家の数だけそこに違う人生が描かれる。表現者としての画家であるシーレから見た女性は描き残す被写体でしかないが、時にそこに刹那の感情が生まれるのだろう。被写体が次から次へと変わる、つまりは彼の傍に居る女性が変わる。まるで利用され捨てられていくように映る。もっと辛辣な表現では弄ぶとまで云われているが、その部分を世間一般のscaleで観てしまうと、本当に「最低」と言葉を吐くしかなくなる。

 息をするように彼には常に紙と鉛筆が必要だった。当然、被写体が其処には必要。彼が表現しようと見つめるものが自然でない以上は避けられない現実だ。決して愛している人(partner)を描きたいわけではない。

 そうした中で支え続けていくのが実の妹とクリムトの愛人ではなかったかとも云われているヴァリの二人。特にヴァリとの関係は切なすぎる。婚姻を越えた関係に既にあることをヴァリが悟ってくれるなら彼女自身どれほど救われたのだろうか。

 ヴァリが一般人の関係を求めると破たんする関係。シーレが別れを告げ去る彼女の背に君が必要だと云うのは未練でも身勝手でもなかった筈。
 28歳、早逝した画家ではあるが生前に個展を開くことが出来たのであれば恵まれている。D・ボゥイが好きな画家の一人にあげていることが解るような画風の背景が映画では描かれていく。単に女性の裸体が描かれているのではなくそこに悲しみや怒り、死が滲む。クリムトがそうであるようにあの第一次世界大戦の時代の空気も大きいのだろう。
 画家を描く時に、彼が生きたその時代の空気、色、音を描き込むことで主人公が際立っていく。まるでそれはエゴン・シーレの画のように。
★★★★



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