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項羽とは違うタイプの「男らしさ」 ―ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ『ファウスト』―

「男らしい男が好き」、そんなセリフを言う女性がいる。「女らしい女が好き」、そんなセリフを言う男性もいる。
 しかし、皆様よーく考えていただきたい。理想の「男らしさ」「女らしさ」と現実の「男らしさ」「女らしさ」がそれぞれ別物だという事を(宅間守や木嶋佳苗を見よ)。要するに、男にとって都合の良い「女らしさ」や、女にとって都合の良い「男らしさ」は、幻想以外の何物でもないという事を。
 例えば、司馬遷が批判しつつも惚れ込んでいた項羽の男らしさ。それは偶像崇拝的な魅力だ。項羽の「男性性」とは、ギリシャ彫刻の肉体美を連想させるような明快さだ。『史記』項羽本紀に描かれる項羽とは、男性の美の象徴だ。しかし、その「男性美」は破壊をもたらした。項羽の「美しさ」とは、猛獣・猛禽や武器に対して見出される「美しさ」に等しい。

 項羽の男性性が体育会系の分かりやすさで成り立っていたのとは対照的に、ゲーテのファウスト博士の男性性ははるかに複雑だ。近年、「サピオセクシュアル」なる概念があるが、これは知的レベルが高い人に対して性的に惹かれるという傾向を表すものである。ファウスト博士のような男性(もしくは女性)が魅力を放つには、まずは「サピオセクシュアル」傾向を持つ他者が必要だ。

 ゲーテのライフワークである『ファウスト』とは、色々な意味で複雑な作品である。戯曲という形式だが、実際に演劇として発表するのが困難だというのも、「難しい」という印象の要因の一つである。第一部は恋愛がメインテーマである分、比較的馴染みやすいが、第二部は政治や経済などの複雑なテーマを扱う上に、アッチャコッチャに時空を超えて話が展開するので、色々とややこしい。『三国志演義』的な分かりやすさとは対照的だ。
 しかし、皮肉な事にファウスト伝説の成立はアーサー王伝説よりもむしろ『三国志演義』に近いようだ。少年時代のゲーテは、人形芝居や民衆本などによって魔術師ファウスト博士の伝説に親しんでいたようだが、このアーサー王伝説よりも庶民的な(むしろ、ロビン・フッド伝説に近いかもしれない)伝説の主人公を近現代的なヒーローとして描いたのが、ゲーテの『ファウスト』である。
 伝説上のファウスト博士は、蘇秦や張儀のようなトリックスターだったが、ゲーテが描いたファウスト博士は、呉起や商鞅のようなダークヒーローである。呉起もファウストも「女を不幸にする男」だが、そんな「魔性の男」とも「ダメ男」とも言えるような男は、項羽のような体育会系の男性ヒーローよりもはるかに複雑な男性性を持っている。少なくとも、項羽には彼らのような「魔性」はない。

 主人公に注目すれば「男の業」の物語だが、別の角度から見れば「普通の女の子が絶世の美女に勝つ」話である。すなわち、第一部で非業の死を遂げたヒロインのグレートヒェンが、第二部では一旦は「世界一の美女」トロイのヘレナに愛する男を奪われるが、最終的には天国で愛する男を取り戻す。何だかアーサー王伝説でランスロットに振られたエレインたちがグレートヒェンとして蘇って、グィネヴィアの分身であるヘレナに一矢報いるようなものである。

【Cherry Filter - Dr. Faust】
 おそらくは韓国を代表するロックバンドであろうチェリー・フィルターの曲。一時期、男性メンバーが兵役に就いていたので、女性ヴォーカリストのYoujeenさんが(期間限定で)日本でソロ活動していたのだが、当時は日本国内では「女のロック」が盛り上がらない時代だった。椎名林檎以外のめぼしい日本人女性ロックシンガーがほとんどいないという状況だったし、SuperflyのデビューはYoujeenの日本音楽界撤退後だった。
 いや、今の日本の音楽業界では、男性のロックミュージシャンも売れるのは難しいか。日本国内で国産のハードロック/ヘヴィメタルが売れないのは、某老舗ヘヴィメタル雑誌が足を引っ張ったから…なんて意見が一部にあるが、それが本当ならば「A級戦犯」も同然だろう。



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