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ケーキのように切り分けられる身体 ―佐藤亜有子『ボディ・レンタル』―

 それは「彼女」のもう一つの道だったのかもしれない。

そう、あまりにもフェティッシュな。

 かつて、ある実在「女子高生」をモデルにしたという触れ込みの大胆な水着姿のフィギュアが一部で話題になっていた。しかし、後にそのフィギュアのモデルになった女性は、自分が実は中卒者だと告白した。私は昔、そんな話を読んだ。
 その「女子高生」という付加価値がエロティックなフィギュアを売り出した。人は「記号」に欲情するのだろうか?

 2013年に亡くなった佐藤亜有子氏のデビュー作『ボディ・レンタル』(河出文庫)のヒロインの「わたし」こと藤野マヤは、「最高学府に通う女」を付加価値として、自らの体を男たちに「貸し出す」商売をしている。はた目から見ると売春とどう違うのか分からないが、顧客次第で「味わう」体のパーツが違う。さらに、ヒロイン自身にとっては「モノとしての自分を楽しむ」コンセプトの「作品」という意味合いも込めた「パフォーマンス」でもある。要するに、単なる売春よりも深くフェティッシュなのだ。それも、単なる女体ではなく、「最高学府」に所属しているのが付加価値になっており、それが一部の男の欲情をそそるのだ。
 学歴も、体の色々なパーツも、女である事自体も、レンタル品としてやり取りされる。結構エグい事態なのに、マヤはそれを淡々と語る。そんなマヤにとって良心の象徴だったかもしれない人物がいた。ヒロインと同じ大学に通う彼のあだ名は「野獣くん」。いかつい外見ゆえにそのあだ名が付いているが、見かけとは裏腹に繊細で優しい男だ。彼はマヤの数少ない友人の一人だったが、私は彼の「煮え切れなさ」が冲方丁氏の『マルドゥック・スクランブル』のウフコックに似ていると思う。そして、マヤはバロットがウフコックと出会わずに娼婦のまま成長した姿のように思える。
「野獣くん」はマヤと共に旅に出るが、一線を超えたりなどせず、姿を消す。世間一般の男たちのように女に対して自分の幻想を押し付けるなんて出来ない、厳しくも優しい男だった。彼が失踪してしばらく経ってからのマヤはすっかり「娼婦めいた顔」になっていた。

 ヒロインが娼婦といえば、桐野夏生氏の『グロテスク』を思い出すが、もし仮にマヤがこれからも「ボディ・レンタル」業を続けて行くならば、『グロテスク』の和恵やユリコのような破滅の道をたどって行きそうに思える。自らをケーキのように切り分けているマヤの最後の「妄想」はカニバリズムを連想させて不吉だが、彼女にとってはどうという事もないだろう。
 古代中国のある遊説家も言っていた。「死者に知覚などない」と。

【椎名林檎 - 浴室】


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