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皮肉か、リスペクトか? ―江川達也『まじかる☆タルるートくん』―

 日本が誇る国民的漫画の一つである『ドラえもん』には、いくつかのパロディ&リスペクト&フォロワー作品がある。その代表例が、鳥山明氏の『Dr.スランプ』と江川達也氏の『まじかる☆タルるートくん』(以下、『タル』)だが、この二つは対照的な作品だ。

 私は『Dr.スランプ』からは本家に対する悪意など微塵も感じられなかったが、『タル』からは露骨に本家に対する悪意が感じられた。ドラえもんがのび太に対して「アドバイザー」として機能しているのに対して、幼児であるタルるートは本丸に対して「アドバイザー」として役に立たない。その代わり、本丸が他のジャンプ漫画主人公たちのように努力して強くなるが、それ自体が「ジャンプ漫画」そのものに対する当てこすりのように思える。
 ヒロインの伊代菜は言うまでもなくしずかちゃんのパロディだが、まだ小学生の女の子だというのにも関わらず、やたらとエロティックな描写をされている。成人女性でも抵抗感があるような大胆水着を母親に着せられるなんて、一種の性的虐待じゃないか!? 全く、文字通り「嫌らしい」わ。
 しかし、伊代菜の親友である女の子、伊知川累いじがわ るいの存在こそが、この漫画の最大の魅力にして存在意義ではないかと、私は思う。累は名前通り「意地が悪い」キャラクターに描かれているが、彼女の意地悪さはあくまでも本丸ら異性のクラスメイトに向けられるものであり、同性に対しては別に態度は悪くない。そして、親友の伊代菜よりもはるかに魅力的な女性キャラクターである。そんな累こそが、『ドラえもん』のアンチテーゼとしての『タル』の一番の取り柄だ。

 さて、『ドラえもん』世界でしずかちゃんやジャイ子以外の小学生女子が(さらには、あの二人やドラミちゃんやのび太たちの母親たち以外のほとんどの女性キャラクターたちが)ほとんど単なる背景に過ぎないのは、しずかちゃん以外の女子たちがのび太の目線に入らないのも同然だからではないかと、私は思う。『ドラえもん』はあくまでものび太の目線の物語だ。多分、「のび太は浮気性の男ではない」のを示すために、しずかちゃんとジャイ子以外の小学生女子は「名前のない」存在にされているのだろう。それに対して『タル』で伊代菜以外の女性キャラクターが目立つのは、本丸のスケベさゆえではなかろうか?

 余談だが、個人的には江川達也氏本人は好きではない。本業をほったらかしにしてメディアに露出するようになった辺りから、私は江川氏を嫌いになった。同様に、荒俣宏氏も苦手になってしまった。『帝都物語』、好きだったのに、残念。
 ついでに『ホンマでっかTV』で某学者さんが出演するようになってしまったのも、ガッカリもんだったりする。あれって、血液型占いを盲信するような人たち向けの番組じゃないの? かつて私が尊敬していた元ブロ友さんとケンカ別れした理由の一つですらあるんだぞ、あの番組は。直接的な原因ではないが、私がその人に愛想をつかした遠因の一つではあるね。

【Rebecca - Motor Drive】
 80年代は、洋楽も邦楽もおいしい。


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