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政治漫画『北斗の拳』 ―武論尊&原哲夫『北斗の拳』ー

 私は思う。もし仮に『北斗の拳』が少年漫画誌である少年ジャンプではなく、ヤングジャンプなどの青年漫画誌に連載されていれば、明確に「政治漫画」として描けたのではなかろうか? 特にラオウは明らかに「政治的な存在」である。
 しかし、ケンシロウは所詮は「匹夫の勇」、ユリアは所詮は「婦人の仁」でしかない。ラオウに范増や李斯に相当する参謀役がついていれば良かったのだが。仮に私が作者であれば、ラオウを明確に「法家」的なキャラクターとして描きたい。そのためには、ラオウには秦の孝公にとっての商鞅みたいな相棒が必要だろう。話の展開次第では、トキが豊臣秀長のような存在であり得たかもしれない。
 ラオウもサウザーも、大雑把な暴君キャラクターだと言えるが、元々『マッド・マックス』みたいな無法地帯の世界観だし、さらには永井豪氏の『バイオレンス・ジャック』がある。そういえば私は『バイオレンス・ジャック』はまだ読んだ事がない。あの『デビルマン』の実質的な続編らしいが、あ、それを言うなら『デビルマン』にも「政治漫画」要素を組み込める余地があっただろう。現に、『デビルマン』の濃厚な影響を受けているメガテンシリーズだって、「属性」という要素がかなり濃厚に「政治的」ではないのか?

 私はあるYouTubeチャンネルの動画のコメント欄で「もし『Zガンダム』のハマーン・カーンが『北斗の拳』の登場人物だったら、彼女はどのような立場になっていただろうか?」というコメントをしたが、それに対してある別の視聴者さんが一言「サウザーの嫁」とコメントした。すなわち、『北斗の拳』の世界観においては、女性は現代社会以上に男性に依存せざるを得ない立場である。
 さらに、私が昔読んだ本か雑誌の記事に「『北斗の拳』の世界では、男はマッチョ、女はグラマラスな美女でなければ生きていけない」という身も蓋もないコメントがあった。非力な「弱者男性」並びに同じく非力な「不美人女性」は、『北斗の拳』の物語の表舞台に立てない。文明崩壊後の世界においては、文明社会の「メリトクラシー」よりもさらに原始的な「優生思想」が人間たちを支配するのだろうか。

 漫画『魍魎戦記MADARA』の主人公マダラは、自分自身が「救世主」になるのを拒んだ。重過ぎる荷を無理やり負わせようとする者たちを拒んだ。多分、ケンシロウやユリアもマダラと同じだったのだろう。それゆえに、『北斗の拳』は「政治漫画」として不完全に終わったのかもしれない。
 そういえば、預言者ムハンマドは現世で政治的に大成功を修めたが、それはイエス・キリストとは対照的である。ましてや、ゴータマ・シッダールタは王族の身分を捨てて「非政治的」な立場になった。いわゆる「世界三大宗教」の創始者たちの中で現世で一番成功したのがムハンマドなのは明らかだ。そうすると、イエス・キリストが「神」たる所以とは、実は日本の御霊信仰と大差ないのかもしれない。

【KODOMO BAND - HEART OF MADNESS】


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