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「スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース」スパイダーマンというスタンダード

 スパイダーマンってな、200人おんねん(もっといる)



 前作は個人的に生涯TOP3に入るほど大好きな作品。そもそもスパイダーマンが好き。もちろん今作も見逃せないため劇場へ。前作以上の最高の体験だった。

スパイダーマンのスタンダードについて

 前作と同様に今作でも別次元のスパイダーマン(スパイダーパーソン)を描くことをテーマにしているが、前作で感じた”もっと別のスパイダーマンを見たい”という欲望を満たす映画になっている。その規模は1,000,000倍になり、圧倒的な数の別次元のスパイダーマンが登場する。

 また、スパイダーマンの作品(コミック、アニメ、映画など)でこれまで描かれ続けた、ベンおじさんを亡くすことといったジャズのスタンダードのようなテンプレートに対して、今作ではより踏み込もうとしている。MCUのスパイダーマンにおいては、ベンおじさんの死を描かず、3作目の「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」にてメイおばさんがその役割を担い、かの有名なセリフを言うなど、少しづつその定型から脱構築しようとしているのが伺えた。ここを外すとスパイダーマンの物語ではない、と言うと保守的な気もするかもしれないが、そこから生まれるスパイダーマンというキャラクター性について描く一番の手段であることは間違いない。その部分の脚色をどうするのかが現代でスパイダーマンを描く意味をもたらしていくのだと思う。そして今作では間違いなくそういった側面を持った作品であることは間違い無い。
 しかし、その踏み込みに対しての解答は次作へ持ち越しとなった。観客のほとんどがもやっとする部分ではないだろうか。マイルスの選択がどう転んでいくのか、節々のセリフなどでそれらの伏線が貼られて映画は終わる。明日公開でもいいので早く続編を見たい。というのが正直な気持ちだ(そもそも前編と後編で分かれるというのは前もってニュースであったが)
 じゃあ今作が駄作か、というのは続編を待ってから結論を出すべき部分である。これに加えて、この映画単体でも構造の部分において傑作である、と断言できる部分があると個人的に思っている。それがグウェンの成長についてである。

定番。でもまだスパイダーバースでは登場していないこのセリフ。

映画の構造、グウェンについて

 今作ではグウェンがバンドに入ってドラムを叩くところから始まり、そしてスパイダーパーソンとしての宿命である仲のいい署長に対する二面性あるアイデンティティの衝突が描かれる(アース65では父親が署長)。そして父親との確執から立ち直り、新たなバンドを組んでマイルスを助けに行く形で映画は終わる。つまりグウェンで始まりグウェンで終わる映画であり、今作ではグウェンが主人公と言っていいほどそのスポットが当てられている。
 これが上述したグウェンの成長譚を描くことでこの映画の構造を成立させているものだと感じた。何よりその強度を高めるのが、前作以上に進化したビジュアル面でのとてつもない高いクオリティだ。冒頭のドラムシーン、ないしアース65ではコミックのカバーそのままを映像化したパステル調の世界が描かれる(コミックないし漫画表現がそのまま映画として描かれるという点で「THE FIRST SLAM DUNK」を思い出した)。そしてそれはグウェンの心情によって絶えず変化し、観客がそのハイクオリティに置いてきぼりにされない働きも得ていると思う。

 また、個人的に映画史に残る名シーンがマイルスと二人でNYの街並みを逆さまに座るシーンだ。グウェンはここまでに半ば家出のような形で別次元に渡ったが、この世界には二人だけをまさに絵として、しかも誰もみたことのない逆さまの世界が描かれる。このシーンだけでグッと涙が出て感動した

映画史に残る最高のシーン。
グウェンの背筋が伸びつつパーカーだったりでフランクな感じも
最高にかっこいい。

ハイクオリティについて

 人によっては、そのハイクオリティな映像に酔う人もいるかもしれない。なにせよこの映画、情報量がとてつもなく多い。スパイダーマンが何人も登場する上に、次元ごとにその映像が変わるので一貫せず目がチカチカしそうだ(ましてや今回は実写も挟まれる)。しかし上述のグウェンの通り心理描写と描かれる映像がリンクされ、ぼくは案外素直に受け入れることができた。そういった人もいるのではないかと思う。
 ”映像の複雑さ ≠  物語の難解さ”を映画として成立させようと製作者側が意図しているのは明らかであると思う。その一端が冒頭の洋紙に描かれた茶色のバルチャーとグッゲンハイム美術館で闘うシーンだ。ここではジェフ・クーンズによる有名なバルーンドックが壊され中身が露出(一種のネタだが)されたり、そして最も有名な建築家の一人であるフランク・ロイド・ライトによるモダン建築の最高峰。その特徴的なグルグルした回廊でスパイダーマンやバルチャーが飛び交う。それらはアートやデザインに対しての攻撃的なメッセージというよりは、それらの歴史を踏襲しつつ描くことで一種のメッセージ性を獲得しているのではないかと個人的には感じた
 より詳しくは高橋ヨシキ氏のテキストで書かれているのでもし未読の方はぜひ。

開いた口が塞がらないとはこのこと。
一体なんなんだこのヤバい映画はとなった洋紙バルチャー。

まとめ

 一言でいうと、最高の映画であった。確かに後編につづく、ことで昔の金田一少年のドラマのような犯人が分からず1週間もやもやするみたいな感覚はある。エンドロールが流れ始めたときに「えっ…続くの!?」となったのは事実であるが、それと同時に「えっ…もう終わり!?」とあっという間に上映時間140分が過ぎたことに驚いた。それは上述したように濃密な映像美やドラマによって時間を忘れるほどに没入していた証拠でもある。普通であれば前編後編に分かれている映画は後編まで観てからその評価が定まるものであろうが、単独の作品としてここまでクオリティの高い作品があることがそれだけ価値あるものとして最高の映画だと思う。もちろん後編も同じクオリティを期待できるのでさらにお得だ。とはいえ入場料の10倍払っても早く次作を観たい


その他のどうでもいいこと

 グウェンの部分でも述べた通り、コミックがそのまま映像化されているのが最高すぎる。今回はさらに実写も加わり「ヴェノム」のおばさんや「ホームカミング」でも登場したアーロンおじさんも出てくる。MCUにもマイルスがいるのかな。
 ヴィランのスポットがかなり怖い。最初は剽軽な雑魚ヴィランなのかなと思ったら、文字通り中身が空っぽ。前作のキングピンのような目的もあって対立するわけでもない。その自分勝手な狂気がすごい怖い。
 この映画で一番脳のリソースを使った部分は事前情報で噂に上がっていた東映スパイダーマン、そしてレオパルドンをずっと探してたことを正直に話します。たぶん出てないと思うので次作に出ることを期待です。池上遼一版の漫画スパイダーマンも登場してくれると助かります。さらにもっと言うとそれらは特撮風、日本漫画風に登場させてください

まだ未読の方はぜひ。


おわり。

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