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連載小説『平の迷走曲』

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記事一覧

連載小説『平の迷走曲』最終話

 しばらくして、鳴岡のインタビュー記事が出た。琴音がデビュー直後に載ったのと同じ雑誌だ。そこには、焦ってはうまくいかずまた焦るという悪循環に陥っていたこと。マネージャーや同業者と揉めたものの、それが仕事について考え直すきっかけになったこと。周りに迷惑をかけた分、これからの仕事で挽回していきたいと思っていることなどが書かれていた。
 琴音も雑誌を買って読んだが、バイオリンを持つ写真の鳴岡は、子どもの

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連載小説『平の迷走曲』④

「みなさま、大変長らくのご乗船、お疲れ様でございました。これよりさきの道中のご安全を心よりお祈り申し上げますとともに、またの日のご乗船を、心よりお待ちいたしております……」
 下船のアナウンスが流れ出した。乗客たちは念のためもう一度荷物チェック(といってもバイオリンのような硬いものが入っていないか触るだけだが)を受けて降りていく。もし乗客のなかに犯人がいて、持ち去られてしまえば追跡はほぼ不可能にな

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連載小説『平の迷走曲』③

 船内はだいぶ探したが、見つからなかった。では荷物検査で見つけきれなかっただけで、誰かがまだ隠し持っているのだろうか。ベッドに寝転がった琴音はバイオリンの大きさを思い浮かべ、ほかに隠せそうな場所や持ち物がないか考える。
「あっ」
 叫んで跳ね起きる。もっと小さなかばんや狭い場所に、バイオリンを隠す方法がある。分解すればいいのだ。弦を張っている黒い指板を外せば、一番大きなパーツは胴の部分になる。胴は

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連載小説『平の迷走曲』②

 琴音は自分の部屋に戻っていた。先ほど鳴岡が来て、マネージャー立会いのもと琴音の荷物や部屋を確認して帰っていった。結局、琴音の部屋に彼のバイオリンはなく、鳴岡はしぶしぶといった様子で引き揚げた。去り際に聞こえた舌打ちと、琴音に向けられた目は、まだ彼女を疑っているようだった。
 今は鳴岡と社長の相談の結果、乗客の荷物チェックが行われている。といってもバイオリンほどの大きさのものを隠せるかばんは限られ

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連載小説『平の迷走曲』①

 甘美なメロディがコンサートホールに響いている。聴いているだけで眠くなってしまうような、マシュマロでできた布団みたいな、甘くて柔らかなバイオリンの響き。
 オーケストラをバックに、平琴音は『タイスの瞑想曲』を演奏していた。俗世間に生きるタイスが、修道士アタナエルに説得され、修道院に入るかどうか悩むシーンの曲である。
 曲調が不安げに変わるところで、琴音はミスをしてしまった。ほんの少しの音のずれだが

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