「裏庭」(梨木香歩)を、もう一度。

この本に出会ったのは小学生のとき。
まだ幼かった私は、この本を単なるファンタジーとして楽しんだ。
「面白かった」とだけ感じたように記憶しているが、その記憶も頭の片隅で長年埃をかぶっていた。

さて、わたしは成長し、大人になった。仕事を始め、心を病んだ。
休みながら、ふと、この本のことを思い出し、もう一度読んでみることにした。

すると、なんということだろう。幼い頃とは物語の様相が全然違って見える。
これは、心に傷を負った娘が「裏庭」という無意識を旅する物語だった。
鏡を通じて意識の深層に降り立ち、自分だけの服を選び、道連れと心を交わし、誰かの幻影を追い、醜い感情も自分のものなのだと認め抱きしめ、大切な人との別れに心の整理をつけ、成長する物語だったのだ。

ページを捲りながら、何度も「これは私だ」と思った。胸を抉る痛みに、涙を流した。

そんなつもりがなくても、不適切養育が連鎖してしまうこと。
バーンズ屋敷の豊かな自然の情景。
休んではじめて得た、「私は私にしかなれないし、綺麗なところもそうでないところも全部ひっくるめて私なんだ」という感覚に一致する物語の進行。
大地の色や生活のさままで鮮やかに浮かび上がる、幻想的な異世界のありさま。

物語を通して炙り出された、自分の生きてきた道程と、美しい描写に交互に心を揺さぶられて、「生きていてよかった、もう一度この物語に出会えてよかった」と胸が震えた。

いつだったか、「人生の節目節目で読み返すと、全然違う本になっていることがある」というような文章を読んだことがある。
私にとって、「裏庭」はまさにそんな本かもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?