「体調管理」がわかってきたよ

「頑張りすぎないで、無理しないでね」とか。
「体調管理も仕事のうちだよ」とか。

そういう言葉をかけられたとき、当たり障りのない返事を返しながら、
「そうはいってもですね…。私の身体では、無理しなければ毎日を送ることはできないのです。無理するか、無理に無理を重ねるか、それ以外の選択肢など私には存在しないのです。どうしろというのですか…?」
と、内心では困惑していた。

でも、最近、その問いの答えがわかってきた気がする。


ポリヴェーガル理論によると、自律神経の状態には、

たたかう・にげる(命を燃やしてブースト)」、
凍りつく(極度のエネルギー温存状態)」、
そしてその中間に、
安心・安全(健常人の『ふつう』)」
の、3つのゾーンがあるのだそうな。

健常人は、「安心・安全」をベースとして、必要に応じて、緊急時のみ「たたかう」・「凍りつく」状態を使うものらしい。

一方、わたしは、ずいぶん前から「凍りつく」がデフォルトだった。
「安心・安全」のない環境で育ったためだろう、中間のゾーンがあまりない。
そして、職場で人の形を保つ、ただそれだけのことに「たたかう」モードを必要としていた。

毎日が緊急事態。健常人でいうならば、平日は毎朝自宅が火事になって家を飛び出すようなもの。
そりゃ疲弊するわ……と、今なら思える。


とはいえ、それを実感として理解したのはつい最近のことなのだ。

休んでいる3ヶ月間、とにかく身体感覚に意識を向け続けたことで、少しずつ、この身体のことがわかってきた。

たとえば、「疲れすぎたときに逆に眠れない」現象。
自分の体力以上のことをしようとしたとき、身体は「たたかう」モードに入る。
活動するのに足りない体力を補うために、むりやり交感神経を亢進させるのだ。
自分にとって「オフ」であることをするためにすら、このモードが必要な状態になってしまうと、オンオフの切り替えがうまくいかず、このモードが遷延して不眠を引き起こす。そして眠れず、さらに体力を消耗してしまう…。

それから、布団の上で、重すぎる身体に絶望しながら、動けないことに焦りつづける現象。
これは、どうやら、自律神経のモードを「凍りつく」から「たたかう」に無理やり切り替えようとしている時に起こるようなのだ。
起き上がれないのは、起きられるような状態ではないからだ。
無理なものは無理なのだ。無理なものが無理だからって、焦っても、自責しても無駄なのである。


これらのことを通じて感じたのは、自分の手持ちの体力以上に頑張ろうとすることは、命を削って燃やして活動に変えることだ、ということ。

「無理をするな」とは「こんなことに命を無駄遣いするな」であり、「体調管理も仕事」は「命を燃やさずとも持続可能なラインを探り、他者に協力を仰いで自分を守れ」ということなのだろう、とわたしは解釈した。


日常生活すら命を燃やさねばままならぬ現状では、そりゃ休むのが妥当だ。
ふつうの人がもっているふつうの感覚に、わたしはようやく辿り着いた。

そしてわたしは今、トラウマ治療によって「安心・安全」ゾーンを広げるのと並行して、なるべくそのゾーン内で生活を完結させる練習をしている。

そのためのdutyとして己に課していることは、明日でもいいことはなるべく明日に回すこと。

無理しない社会復帰に向け、手探りで「体調管理」を実践する日々である。

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