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僕がよく知る嘘について

シズククイナは春の始めに見られる深緑色をした鳥である。その鳴き声は、ピアノの鍵盤に落ちた雫が音を奏でるように美しく、姿を現す時期とあわせて雪解けを知らせるようであることから別名"雪解け鳥"とも呼ばれる。


僕はその晩、借りているアパートから徒歩数十分の旅館に宿泊していた。その日は満月で、月の光を薄い雲が散乱し、月の周囲は極彩色に染められていた。

今は何時だろう。喉の渇きで目が覚め、軋む薄暗い廊下を共用の洗面台まで歩いて行くと、そこには人影があった。

「こんばんは。よく来たね」
「……こんばんは」

えーと……水を飲みに来たんだ。
蛇口をひねり、水が十分に冷たいことを確認してから手ですくい、口元へと運ぶ。広いシンクに水の落ちる音が響く。洗面台に立つ自分の背後、木製の長椅子に座っている彼女が、不気味なほど静かに感じた。

「君、秘密があるでしょ?」

僕が飲み終えるのを待っていたかのように、彼女は口を開いた。
「別に、誰だって」
「ああいや、ゴメンゴメン。今の秘密ってのは、人に話してもいい秘密って意味だよ。思い出と言いかえても良い。特に君は持っているはずだ。人に"話さなくてはならない"というレベルのものをね」

「私はそれを聞くことになっているんだ。ほら、こっちに座りなよ」
彼女は長椅子を軽くとんとんと叩き、僕に座るよう促す。
僕は一人半ほど間隔をあけて腰を下ろし、彼女の言う、"話さなくてはならないこと"について、話し始めた。


十数年前、僕が中学生の頃。
春休みが明けて最初のホームルーム、羽宮はみやが転校してきた。
最初は、転校生ということもあって皆から特別扱い。注目を浴びていたのもあって、すごく明るく見えた気がするけど、しばらくするとクラスになじんで、変に特別視されることもなくなった。
今思えば、良いところに収まったって事なんだろう。

話を戻そう。「僕が話すべきこと」といわれて思い当たるのは、とある日の帰り道のことだ。この話をするとき、霧のような雨が降っていた日だったのを同時に思い出す。

僕は羽宮と家が近かったから、一緒に帰ったり、遊んだりすることもあった。
日比人ひびと、いつもそれ着てるよね?緑の」
日比人ってのは僕のことだ。瀬露せろ 日比人ひびと

「ああ、クラブのだからね。変?」
当時僕はサッカークラブに所属していて、クラブのTシャツを普段もよく着ていた。ピッチの芝生と同化するこの緑色は、明らかに不評だった。

「別に変じゃないけど、あれみたいだなと思って。”雪解け鳥”」
羽宮は教室でもよく本を読んでいて、小さな野鳥図鑑を机にしまっていたから、恐らくその知識なのだろうと僕は思った。

「シズククイナっていう背中が深緑色の鳥でね、尾羽が長め。……この前の体育祭、尻尾取りがあったでしょ?あの時も『似てるな~』って思ったんだ。ほら、緑組だったし」
「へー、……もう一回名前言ってもらえる?調べるから」
僕が携帯を取り出すと羽宮はニヤニヤと目を細くして、「シズククイナだよ」と教えてくれた。


「シズククイナ」と十分に一致する結果はありません


「…………えーと、に濁点?に濁点?」
「アハハ!どっちでも一緒だよ!居ないんだから、そんな鳥」

羽宮は、突拍子もない嘘をつくことがよくあった。
きまって標的は僕で、僕の中には、偽物ばかり集めたデータベースができあがっていった。

「じゃんけんは最初グーとチョキしかなかった。チョキがグーに勝つならまだしも、グーがチョキに勝つのはつまらない。そういう経緯でできたのがパーであり、今のじゃんけんなんだよ。日比人」

「腹時計ってあるでしょ?あれと同じで、毎日決まった時間、夜2時に必ず頭痛がする人がいるらしいよ。私もそうなんだけど」

「ザラメは元々丸かったんだけど、あまりにも美味しくて都合が良くて不安になるから、わざと角を付けてチクチクするようにして売られてるんだって。知ってた?」

羽宮は「虚実織り交ぜて」をモットーとしているらしく、頭痛の話などはどうやら本当らしかった。

中学を卒業するとき、羽宮は親の転勤に引っぱられて、県外の高校へ行くことになった。卒業式が終わった数日後、僕は何となく羽宮に聞いた。

「羽宮って、よく嘘つくだろ。あれ、何の意味があるんだ?」
「……それ、本気で聞いてる?」
「本気だよ。はぐらかすのは無しだ」

それを聞くと羽宮は少し目線を下にやり、追い詰められたような、覚悟したような素振りで話し始めた。

「私、昔から頻繁に転校してたんだ。だから、今回もすぐにそうなると思った。……でも、卒業までいられるってことになってさ、多分、嬉しかったんだと思う。だから……だから、いたんだよって跡を残したくて、日比人にいっぱい嘘を教えてた。…………私いなくなるけどさ、ずっと居座ると思う。ごめんね、ずっと居て」


羽宮が引っ越す前日、羽宮の家のポストに手紙を入れようとしたのを覚えている。
「もし気づかなかったらどうしよう」と思って、ドアの前で泣いて、結局手渡しにしたことも。

確か手紙には、野鳥図鑑の形式に似せてシズククイナの絵と説明を書いたものが添えられている。




「これで全部だよ。満足した?」

いつの間にか雲は去り、夜空には月が煌々と輝いている。

「そりゃもう大満足だよ。ただ、少し質問していいかな?日比人くん」
「良いけど、その、君は誰なんだ?」
「ああダメだよ、私が先。こういうのは先に言ったもの勝ちなんだから」

「えーとまず、転校生の、下の名前は?」
まこと羽宮はみや まこと……だったはず。」
「『だったはず』って……。羽宮真ね。」

「羽宮真の髪の色、思い出せる?」
「ああ、黒だった」
「真っ黒?カラスですら完全な黒じゃないのにかい?」
「えーと、少し青みがかった、黒?ほんの少しだけど。……なあ、流石にそろそろ僕の番でもいいんじゃないのか?」

「それじゃあ、最後の質問だ。
今の話は本当?」





「なあ、私の質問に答えなよ」


「ノーコメントだよ。君、誰なんだ?……なあ、それって最初からあったか?」
彼女の隣には、いつの間にか巾着袋が置かれている。
「まあ待ちなよ。質問に答えるには、日比人くん、君の"隠すべき秘密"に触れる必要がある。良いかな?」
「……2人とも知っていて、知っていることも知ってしまったら、それはもう秘密じゃないだろ」

「ありがとう。日比人くん、いや、日比人。君は数年前の事故の影響で記憶をあまり保持できない。そうだね?」
「”保持できる記憶の総量が決まっている”の方が正しいかな」

「正直言って君は、私に何度も似た話をしているんだよ。満月の夜になるとこの旅館に泊まって、ね」

そのとき、広間の方からゴーン、ゴーンという音が聞こえた。
広間にあった大きな時計の音だろう。

「イタタ……そういうことだったね。少し待っていてくれ」
そう言うと、彼女は巾着袋から薬を取り出して立ち上がり、蛇口をひねって水を出し、2錠まとめて飲みこんだ。

「端的に言おう。私は、君の話から生まれた存在だ。つまり今は、羽宮真ってところだね。日比人」
薄暗い月明かりに照らされて、彼女の髪がうっすらと夜空のように青く、黒く色づく。

「君毎回、私に羽宮って人の色んな話をしていくんだよ。下の名前は毎回違うけどね。今回の日比人は『毎日夜2時に頭痛がする』なんて言ったもんだからこのざまだよ。面倒なことするね、本当に」
「僕が覚えているのは、忘れたくないことを人に話すように努めろって所までだ」

「うんうん、『記憶の固定化において、発話に勝るものはない』だね」
「そんな言葉ないだろ。いい加減なことを言うな」
それを聞くと、彼女は嬉しそうにニヤニヤと目を細くして笑った。

「でも、まことって名前は結構好きだなぁ。嘘からできた存在の名前に、ピッタリだと思うよ」

「……いつもそうやっておちょくってるのか?記憶をとどめておけない僕を」
「あ、ゴメン。そんなつもりで言ったわけじゃなかったんだ」
「なら良い。とにかく終わったんだろ、今回は」

立ち上がろうとする僕は、"羽宮"に引き止められた。
「ちょっと待って。毎回、最後に話すことがあるんだよ」
「いつか忘れてしまう僕にとっても、大事なことか?」
「もちろん。毎回話すのはそれだけ大事だから、そう思わない?」

もう一度腰を下ろした僕に安心した表情の彼女は、真剣な雰囲気で語り出した。
「今日は特に断っておくべきだろうね。これから話すのは本当のことだよ。良いね?」
僕は頷いた。さすがに彼女の誠意を疑う程、ひねくれてはいない。

「……日比人の話は、毎回少しずつ違うんだ。私の見た目や性別が違ったり、嘘の内容が違ったりね。でも、毎回一切のブレがない箇所が2つだけある」
彼女はそう話しながら巾着袋の中を探り始めた。


「1つ目は羽宮という名字。もう1つは……シズククイナの話だよ」

巾着袋から出てきたのは紛れもなく、僕が羽宮に渡したシズククイナの絵、そしてその説明であった。


「これ、本物なのか?」
「うーん、それに答えるのは難しいかな。どちらにせよ嘘なわけだからね。でも、羽宮さんが確かに残した爪痕であることに、間違いは無いと思うよ」

「……ありがとう、きっとまた来る」

「じゃあまた。羽宮」


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