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原発事故からの避難

遠藤京子

 2003年4月に東京・目黒で開店した自然食品の店「あらいぐま」は、2011年の原発事故の2年後、閉店しました。そして、さまざまな残務処理を行ない、2013年3月に、沖縄へ避難移住をしました。

 自然食品店をはじめたのは、私が生まれ育った家の家族、両親と妹が皆、病気で亡くなったことも、理由の一つです。私の家の食生活は、典型的な戦後、食生活の改善と称して作られた「フライパンママ」の作る洋食に偏ったものでした。和風惣菜が出てくることはほとんどありませんでした。酒飲みでもないのに、高脂血症・動脈硬化の父は、脂身の多い肉が大好きでした。
 食卓には常にバターの入れ物が置いてあり、煎餅でも、うどんでも、ご飯でも、何にでもバターを添えて食べました。脂の多い牛コマのを生姜と炊き合わせた佃煮が、我が家の常備菜でした。
 ベーコン・ハム・ウインナーソーセージ・チーズなども、冷蔵庫には常備されていました。
 家族の病気の詳細は省きますが、この食生活が原因であることは間違いのないような病気でした。私は、太るのが嫌だったので、同じものを食べてはいましたが、少食を心がけていました。妹は、高カロリーな副食に加えて、丼飯を食べていました。両親も、妹も、とっても太っていました。
 最後になくなったのは母ですが、母が病気になったころ、私は少しずつ玄米菜食を常食にするようになっていました。ですから、わずか半年ほどの闘病でしたが、玄米粥を作って母に食べさせました。

 私の家族はみな、原子力発電には反対していました。しかし、3人とも、福市の原発事をを知らずに逝きました。

 沖縄に移住してから、同じ移住者からネット上で、自然食品の店「あらいぐま」の閉店が話題になっていたと聞きました。その人は、都内でレストランを経営していて、やはり閉店して移住した来た人でした。
 いち早く閉店して移住した店として、自分の店と自然食品の店「あらいぐま」が話題になっているということでした。
 ここの転載した閉店の挨拶が、シェア拡散されているとのことでした。悲しいシェア拡散でした。

自然食品の店「あらいぐま」閉店のご挨拶(2012年7月31日)

 みなさまには、格別のご愛顧をいただいて参りましたが、当店は、本日7月末日、閉店させていただきました。
 長きにわたり、ご利用いただき、まことにありがとうございました。
 東日本大震災による東京電力・福島第1原子力発電所の事故は、未曾有の放射能汚染被害をもたらし、現在、安全な食材をご提供することが、きわめて難しい状況となっています。このかん、出来る限り被曝が少ないと思われる地域からの野菜の供給や、原材料に関しても産地確認等、懸命の努力をして参りましたが、汚染状況は悪化の一途をたどっています。
 福島のみならず、放射能汚染物質は発生した地域に閉じ込めなければならないという世界の常識に完全に逆行した、瓦礫の「広域処理」による焼却という、野田政権の欺瞞に満ちた犯罪的愚策により、人為的・構造的な放射能被害が急速に拡大しつつあります。
 こうした被害が、もはや1小売店の力では、とうてい対応しきれない段階になりつつある現状では、「これは安全です」とお客様にご提供出来る条件がありません。
 みなさま方におかれましては、それぞれの方が、メーカー等に産地・収穫時期等をお問い合わせいただき、ご判断いただくのが何よりと考えます。
 なお、原発事故及び放射能汚染状況、また、食養・石けん製品に関する情報提供は、ツイッター等にて続けてまいりますので、フォローいただければ幸いです。
 また、自然食品の店「あらいぐま」の電話は、今しばらくは、使用可能ですので、ご遠慮なくお電話いただければと存じます。

東京・目黒にあった店。原発事故直後は、それまで外に陳列していた野菜類を店内に移し、原発に反対を訴えるポスターなどを貼った。

 タイトルの写真は、自然食品の店「あらいぐま」へ移設のマクロビオティック食堂「あらいぐまの台所」で開催していた料理教室のある日のメニュー。メインは、人参とプラムを使ったクスクス料理。


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