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「カミングアウト」をするとは

最近、世界中でLGBTIQA+の人権尊重が広まっている。これは大変喜ばしいことだし、世界の人権意識の向上として人類史に載るに相応しい動きだと思っている。

そうした流れを受けて、各国のセレブリティや政治家、スポーツ選手、そしていわゆる一般市民の人々が自らのセクシャルアイデンティティを公表する「カミングアウト」がよく見られるようになった。カミングアウトできるような社会に変化してきている、ということは良い方向に向かっていることを指しているし、私もそれにも同感である。

ただ、異性愛者は、「私は男性が好きです」「私の性的対象は女性です」と公に言う必要はない。自分とは異なる性を愛するのが、それが「当たり前」とされているからだ。

以前に、カミングアウトをした方のYahooニュースの記事のコメント欄に、「最近こういうカミングアウトしてる人をよく見るけど、それで?ってなる、興味ないしどうでもいい」と言ったような趣旨のコメントを見かけた。自分のセクシャリティを公言することで他者から受ける批判や差別、偏見といった自分に降り掛かってくるであろう不利益を差し置いた上で、勇気を振り絞ってカミングアウトした人の気持ちを踏みにじる意見だ。

「普通である」異性愛者は、自分の性的嗜好を他者に改めて言う必要がない(もちろん、異性愛者であっても公言する必要が出てくる場合もあるが、同性愛者と比べて公言することへのストレスはゼロに等しいだろう)、ということはどういうことなのか今一度考える時である。