コロナ vs. アメリカ大学生

コロナウイルスが中国、日本や韓国といったアジアの国々で急激な広がりを見せていた頃は、アメリカはまだどこか他人事だったように感じます。それが西海岸と、東海岸はニューヨークを中心にウイルスが一気に広がり、またたく間に全米に広がり、確認されたケース数も一瞬で日本を大きく上回るまでとなりました。

学校も、ほとんどの仕事もオンラインにシフトして、街はガラガラになりました。私の居るワシントンDCでは、数日前にレストランやバーもデリバリーか持ち帰り対応のみとなりました。街はすっからかん、たまに見かける通行人も悲しみと不安でいっぱいの顔です。
通勤や通学、ショッピングのため外に出る人がいなくなったため、行き場のないホームレスの人達が余計に目立っているのが、この国の格差を改めて強調しているように感じます。

大学でも、オンライン授業になったり、退寮を急かされたり、卒業式がキャンセルになったりで、学校側も大学生も大混乱です。そんな中で、ふと「アメリカらしいいな」「日本じゃありえないな」と思う出来事がいくつかあったので、記事にしてみようと思いました。

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いつになく人気のないDCの街。
街の近くの空港を使う飛行機の音が減ったかわりにヘリコプターの音をよく耳にするようになりました。非常事態の雰囲気に包まれます。

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アメリカの大学の状況

前述の通り、授業はオンラインで続行することになっています。コロナがアメリカで酷くなりだしたのは、多くの大学が春学期のちょうど真ん中に差し掛かるころでした。基本的に春学期は1月の中旬〜5月の上旬で、3月の上旬・中旬に1週間ほどの春休みがあります。なので、私の大学も含め、春休み後からオンライン授業にシフトするように決定した大学がほとんどのように感じます。

オンライン授業はZoomなどを使って通常通りレクチャーが行われる授業がほとんどですが、ディスカッションの多いクラスだとタイムラグとかあってすごくやりにくそうだなと思います。春休み明けにプレゼンテーションが予定されていたクラスも複数あるので、どうなるのだろう…と思っています。

オンライン授業にシフトされたと同時に、特別な理由がある生徒を除いて退寮が命じられました。留学生や家族が海外に住んでいる生徒は今のところ免除されています。
アメリカ国内に家があっても、実家のある場所でコロナの状況が酷かったり、大家族すぎてとても家でオンライン授業を受けられる状況じゃない、といった問題を抱える生徒もたくさんいます。大学側に掛け合った友達も何人か知っていますが、基準が相当厳し目に設定されているようで、みんな拒否されていました。

大学側にとっても学生側にとってもかなりストレスフルな状況です。誰のせいでもないとわかっていても、不当な扱いだと思えばそれに対して黙っているのではなく、どんどん行動に移していくのがアメリカの若者です。アメリカはネゴシエーションの国と言われるように、(良くも悪くも)主張したもん勝ちみたいなところがあります。


言ってなんぼの文化:ペティション(嘆願)

ペティションは、嘆願と訳すそうです。自分たちの意見を反映させてもらうために大学に直接訴えたり、オンラインで署名を集めたりする動きが本当に多いです。多い内容としては、

授業料を減らして!:オンラインで受けられる教育の質は、実際に直接教授から受ける教育の質とまるで違うので、通常と同額の授業料をとるのはおかしい。
授業をパス/フェイルにして!:(通常クラスごとの成績はA~Fの"Letter Grade"でつけられ、それが数値化されたものの平均がGPAという成績評価になります。パス/フェイルになると、単位をとれるかとれないかだけの問題になり、GPAには影響を及ぼしません。)この混乱の中急遽家に帰ることになったり、オンラインで授業を履修するということは普通ではない。GPAは就職活動、大学院進学の際に最も重要なファクターの1つであり、今回のパンデミックがGPAに悪影響を及ぼさないために、パス/フェイルにするべきだ。
卒業式を延期にして!:キャンセルにしたり、オンラインを代替案とするんじゃなくて、延期にしてアウトブレイクが落ち着いてから実施するべきだ。

このようなペティションが多く出回っています。どの大学でも行われていることなのだろうと思います。主張する文化、すごくアメリカらしいなぁと思いました。
皆さんはどう思いますか?私はパス/フェイル以外は賛成です。

追記:パス/フェイルは通りました。卒業式延期も通りそうです。

マルチエイド・スプレッドシート

大学がオンラインになり、退寮を命じられてからすぐに、学生数人によって食糧、宿泊先や交通手段についての情報をまとめたスプレッドシートがつくられました。大学コミュニティの人向けに作られています。

項目は、

・宿泊先や空き家
・交通手段
・物資
・ヘルスケア
・ストレージ
・ペット/子ども/植物のお世話
・食糧

があり、それぞれOffers(助ける手がある)の欄とNeeds(助けが必要) の欄に分けられていて、誰かを助けられる人/助けが必要な人が書き込める掲示板のようになっています。

・XXXのエリアで、X人無料で泊められます!
・ファンドレイザーの残りでXXXドル余っているので、緊急なもののために使う人に寄付します!
・今週末DCからNYまで帰るので、NY方面に行く予定の人X人まで乗せていけます!
・猫シッターできます!

といった書き込みが、何件も見られます。

コミュニティ全体で一致団結してこのクライシスを乗り越えるための方法として、すごく有効だと思いました。また、このスプレッドシートが出回る前はフェイスブックグループ上で情報が溢れかえっていたので、情報錯乱を防ぐ目的も果たしています。

すごくよく作られていたのと、同年代の生徒がリーダーシップを発揮してみんなのためにこのようなものを素早く作ったことに、感動したのを覚えています。

「大学よりもそこの生徒のほうが優秀って笑」みたいなコメントが多く見られます。皮肉ですが事実だなあと思います。冷静に状況をしっかりとみて、大衆にとって正しい行動を起こせる若者が多いのは、アメリカの頼もしいところだなと思います。

仏教の先生のはっとさせられる言葉

現在履修しているクラスの1つが、「仏教と認知科学」という哲学のクラスです。教授は仏教哲学をメインに教鞭をとっているすごく穏やかな先生です。
オンラインクラスになる前の最後の授業で、コロナの影響でパニックになっている生徒に向けて言ったことがすごく印象的でした。

先生はイラク出身で湾岸戦争の経験者で、その経験談を少しシェアしてくれました。地下に隠れて爆撃から身を守っていた頃のことを思い出し、「あんなこともあったけど、今ここにこうして居ることができるしね」と、笑いながら言っていました。「クライシスはあっても、ずっと続くわけじゃないよ。」という言葉は、先生の口からだと妙な説得力がありました。

「皆さんは、こんなときこそコンパッションをもって、自分と他人に優しくね。じゃあ、オンラインクラスで会いましょう。」という教授の言葉で、最後のin-personのクラスが終わりました。

仏教の教えの根本には「無常」という考えがありますよね。本当は全て無常なはずなのに、その事実を忘れて、明日が来ることをあたりまえに思ってしまう。卒業式が開催されることを当然と思ってしまう。確証はないのに、友達に必ずまた会えると思ってしまう。

私の命にも大事なあの人の命にも必ず終わりがあって、時計は一刻一刻と進んでいる。大好きな人とのバイバイがいつになってしまうかはわからない、いつになってもおかしくない。紛れもない事実なのだけど、counterintuitive (直感的に理解しづらい事) だから、私達は忘れてしまいます。
コロナの一件で、すべて「無常」であること、あたりまえは存在しないことを、私達の多くが再確認するきかっけになったように思います。

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コロナにみる国家の能力と国民性

今回のパンデミックでは、それぞれの国家の政府の力量がためされ、国際社会にそれぞれの能力を明らかにさせたように思います。

若い”天才IT大臣”を有する台湾は、他の国と何が違うのでしょうか。
大統領選が絡んでくる厄介なタイミングですが、トランプは、国民からの信頼を取り戻せるのでしょうか。(はじめは余裕ぶっこいてましたよね。手洗ったらならないから大丈夫〜、みたいな。)
民主主義社会を強調し、”全国民”の協力を訴えるメルケル首相の演説は、国民一人ひとりの心にどれだけはたらきかけ、行動まで変えることができるのでしょうか。

みなさんは、日本政府の今回の件のハンドルの仕方についてどう思いますか?

同時に、それぞれの国民性も考察できる機会のように思います。
DCでは、ぴたりと外を歩く人がいなくなりました。アメリカの多くの都市でも同じようです。
日本では外を歩く人は普通にいて、「日本これで大丈夫なのかな...?」と、数日前にアメリカから日本に帰国した大学の友人が言っていました。油断したとたん第二の波が来そうだね、という声も聞きます。

アメリカ含む欧米諸国に比べ、日本は普段から手洗いうがい・マスクの着用が定着しているし、街もすごく清潔である点は、日本が声を大にして誇れる点だと思います。ですが、危機感レベルは十分なのでしょうか。

アメリカではすぐにリモートワークに変更された一方、私の父は、この状況の中今もまだ毎日電車に乗って近くの都市に仕事に行っています。その話をこっちで友達に話すと「ありえない」というように苦笑いされます。
私は単純に???でいっぱいです。この非常事態の中でも電車に乗って毎日通勤しないといけない理由がわからないです。一気に完全にリモートにシフトすることが不可能でも、数日実施するだけでリスクは大きく減ります。日本はいつまで”過渡期”なのでしょうか。

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ニュースサイトをみると、安倍政権のどの取り組みに対しても、たくさんの批判が目にとまります。政府に対する批判は良いし、私も賛成する点はたくさんありますが、批判ばかり見ると極端に他責思考の人々の姿を想像してしまい、悲しい気持ちになってしまいます。

自分事で物事を捉え、リーダーシップを発揮する若者も多くいる一方、アメリカでも「コロナにかかるときは、かかるときだ!」といって、人混みだろうが構わず出歩き、スプリングブレイクを謳歌する無責任な若者が取り上げられています。

国境関係なしに移動するウイルスに国際社会が立ち向かうこのパンデミックのなかで、どのように政府が対応するか、どのように国民が動くか、国ごとの性格や力量が試されている感じがして、いろいろと考えてしまいます。


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DCは桜が有名な都市ですが、今年は残念でした。

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タイトルはコロナ vs. アメリカ大学生で、もっとアメリカの大学にフォーカスした話を書くつもりが結局色々と書いてしまいました。
"Flatten the curve"(医療システムがパンクしないために、ケース数の曲線を少しでも平らにすること)とよく言われますが、一刻も早く、世界全体でケースの数が落ち着く事を願います。

ウイルス自体も怖いですが、この究極的な状況に置かれた私達人間の行動も同じくらい怖いなと個人的にすごく思います。
パンデミックが落ち着いたとしても、不況はどれくらい悪化し、どれくらい続くかわかりません。犯罪やマスシューティングなどが起きてしまわないかなどと考えてはとても不安になります。アメリカではコロナの影響で銃の売上がすごく伸びているので、現実味のある話です。

また、人間は社会的な動物なのでずっと家に居たり人と会わないと心が病気になってしまいます。家にこもって人との接触を避けながらも、自分の心の状態にも耳を傾けることを忘れないでいたいです。

最後にちょっと心理学っぽい話をすると、Optimism(楽観、前向き、ポジティブ)と免疫の強い関係は証明されています。ネガティブになったり、暗い気持ちに支配されてしまうと免疫が下がってしまいます。
ちなみにOptimismはポジティブ心理学でもキーになっている分野で、Martin SeligmanというU Pennで研究しているポジティブ心理学の第一人者の専門分野です。Learned hopelessness (学習性無力感)の研究をずっとされていて、その後Optimismにフォーカスを置いて多くの有名な研究を残されています。

心の持ちよう、あなどれないです。免疫が運命を分けるといっても過言でないコロナと戦うとなると、なおさらです。自粛は大事ですが、心の健康状態を保つことも大事です。

いつも「無い無い」と言っている”時間”が突然一気にやってきた感じがして少し戸惑ってしまいますが、友達と長電話したり、たまにはだらだらお笑いみたり、新しい趣味をみつけて没頭したり…この時間も、有意義に使えるといいなと思います。
私はプロゲートを始めてみました。やり始めたらハマって一気に無料で出来るところ終わらせてしまい、お金払おうか迷い中です笑 noteも再開しようかなと思ったのもそうです。バケットリストに入っていたことに取り組めたり、じっくりと自分に向き合う時間を持てるのはありがたいなと思います。

こんなときこそ、自分にも他人にも優しく居たいですね。不安なことだらけだけど、絶対大丈夫です。最後まで読んでいただきありがとうございます。私達は強いです。一緒に頑張りましょう。

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